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【考察】コレコレ氏アンサー動画について



■コレコレ氏の2つの主張


コレコレさんがアンサー動画を出しました。今回はこれについて考察をしたいと思っています。

YouTubeは週刊誌や記者の仕事について理解が深まればいいと思って運営しているので、記事についての解説は既に行いました。後はお互いの意見を交わす言論ということになるので、アンサー動画についての考察は赤石のnoteで行いたいと思います。


コレコレさんのお話は、大きくわけて2つのパートで構成されていました。

①コレコレ氏が 文春記事を読みました、という釈明。
② 女性が他の件で嘘をついているので虚言癖です、という話。
 
 
まず①について言うと、発言を修正してきていますよね。当初は「写真の浜田の子ども誕生日」「いいとも出演日」を当初は文春が裏取りに使ったと言っていましたが、コレコレ氏も「(2つは)事実ではない」と言い出している。今回はうちのYouTubeで指摘した通り「事実ではない」と修正していました。言い訳としては「女性がそう語っていた」ということなのでしょうが、仮に虚言癖だというならその言葉を鵜呑みにしたんですか? と。
 
また、コレコレ氏は「曖昧な人やばくね」と主張していますが。取材においての「曖昧」と「真実相当性」の違いについては下記記事で解説しているのででここでは割愛します。


■週刊文春の松本記事の読み方


 

「文春を読んでいる」とコレコレ氏は今回主張しました。
 
本当に文春を読んであの批判をしたんですか? と驚きました。コレコレ氏は《○加害(性加害)》、《告発》と度々語っていますが、記事はそのような記事ではないからです。


そもそも記事は『実録松本人志』というタイトルの記事で彼の半生を追ったものです。メインテーマは彼の半生です。

 
記事は6ページに渡るもので700行以上ある記事です。うち彼女のパートは49行です。記事では彼女は「押し倒されて関係を持った」と語ってますが「性加害」とは書いてません。ここが記事のポイントです。読んでいないかたもいると思いますので該当箇所を下に引用します。

91年に撮影された1枚の写真。白のジャケットを羽織った松本が4人の女性に囲まれている。その日、都内のディスコで催されたのは、ダウンタウンが司会を務める番組の打ち上げだった。

 共演者の女性が証言する。

「後輩芸人のYさんが近づいてきて『松本さんが食事をしたがっている』と。とにかくしつこかったので、断る手段として電話番号を教えてしまいました。すると、後日松本さん本人から食事の誘いを受けたのです」

 数日後、都内の待ち合わせ場所に現れたのは、松本とYだった。

「2人きりではないと安心していたのですが、突然、Yさんは『トイレに行く』と言ったきり戻って来なかった」(同前)

 その後、彼女は「車で送ってあげる」という松本の言葉を信じて乗車したところ、着いた先は松本のマンション。彼女は部屋に入ることを拒否したが、松本は「今後も芸能界で生きていたいやろ?」と口にした。彼女が言葉を続ける。

「リビングに入ると、『この部屋はお化けが出るから』と隣の部屋に移動。そこには布団が1枚敷いてあり、押し倒された。関係を持った後、『明日俺は生放送だから寝るわ』と言われ、終電もないのにタクシー代も渡されずに帰らされた。もちろん付いて行った私が悪いのはわかっていますが、それから何十年経っても後輩を使うやり方は変わらないんだと、他人事ではない気持ちになりました」

「週刊文春」より引用



改めていいますが文春の当該記述は「性加害」という言葉が使われていません。1エピソードを紹介した記事です。それをコレコレ氏はアンサー回でも「加害」「告発」という指摘を続けています。
 
文春の一連の松本記事には3つのカテゴリーがあります。

「性加害」、「上納飲み会」、「その他のエピソード」の3つです。コレコレ氏が指摘している記事は、「その他のエピソード」回です。どういうことかというと、性加害を書くポイント、飲み会を書くポイント、その他のエピソードを書くポイントがそれぞれ違うのです。

更に解説すれば、「告発」のケースには証言者にA子、B子、J子などアルファベットが割り振られています。今回の記事では「共演者の女性」と記述されており、アルファベットが付けられていません。

週刊文春の記事は、細かい言葉遣いの一つ一つに「意味」があるのです。記述を見る限り「共演者の女性」は被害を訴えるつもりはないが、こんなことがありましたよ、とエピソードを証言したと読めます。

もし文春記事を読んでいるのなら、正確に解説すべきです。

①まず裁判になっているA子B子さんの「性加害」記事とは関係のない記事です、と説明する。
②次に記事タイトルである「実録松本人志」を紹介し、そのなかの一部である49行の記述について問題があると思う、と言うべきですよね。

 
松本氏が訴訟しているのも「性加害記事」のみです。コレコレ氏は「その他記事」でアレコレ言い、裁判に協力すると公言し、性加害記事も問題であるかのような拡大解釈をした。

ここで早目の結論ですが、アンサー回を見た感想は「もう一回、文春記事を読んで下さい」ということになります。


■”虚言癖”か”誹謗中傷”か


 
問題は後半のパートです。もう1つのパートでのコレコレ氏は、もろに「印象操作」を行っています。

そもそも記事とは関係のない話であり、真偽も不明です。女性がリスナーだったという配信者の動画も見ましたが「彼女は昔から松本氏の話を言っていた」と肯定的な話をしていました。

虚言癖」という言葉の定義は何ですか、という部分も気になります。①100話したら、100嘘をつく人という意味なのか? ②医学的心理学的な定義としての虚言癖ということなのか。③またはコレコレ氏の主観なのか? 配信を見る限りは③である可能性が高い。

仮に裁判になった場合、定義と真意を徹底的に聞かれます。医学的心理学的なエビデンスの上で、「虚言癖」と言ったならその主張は認められるでしょう。

③だとしたら、要は別の話を持ってきて「虚言癖」と決めつけるための印象操作をコレコレ氏はしているのです。「彼女はウソツキ」=「文春ヤバイ」と話を単純化しているんですね。

 

■生電話と印象操作


 
印象操作の例を1つ出してみます。

木原事件と松本記事は同じ取材チームがやっています。木原事件を捜査した警視庁の元捜査官である佐藤誠氏は「文春の取材は警察以上」と言っています。元捜査官が褒めるほど完璧な取材をする。「同じ取材班が担当しているのだから松本記事は極めて正確なんですよ」、と僕が話したらどうなりますか?

やはり凄い記事なんだと納得する人もいるかもしれません。でも目鼻の効く人なら、「え? 違う記事の話やん」とか「論理のすり変えだろ!」と普通はなる。

《この人が違うところでウソを言ったから、あの記事もこうである》も同じ理屈です。

あの人はこうです、凸ですは論点が違うのです。コレはコレ、アレはアレで論じる必要があると僕は考えています。

 
週刊誌記事が話題になったとき、話した人に対して「嘘つき」「虚言癖」という評判を流布する人間が現われるのは良くあることです。粗探しをて「ホラね」と。ジャニーズ問題でも、宝塚問題でもそうでした。多くの場合は”誹謗中傷”です。
 
問題はそこじゃないですよね? 文春はマンションを特定し、部屋の間取りも抑え、秘密の暴露があるかを確認し、多くの人物から松本氏の行動パターンの取材をした上で記事を書いている。記述のどこが問題なのかを論じるべき場面なのです。


余談ですが、コレコレ氏に電話しろとかいま言われてます。電話をするためにはDM送り云々ーーという手間がかかる。この手間を要求をするという手法は、相手に要求を呑ませて2者間に「主従関係」を作ろうとする、よくある心理テクニックです。「電話をした時点でも負け(かつ、コレコレ氏のリスナーに囲まれ極めて不利)」であり、「電話をしなければ逃げた」と言える、”不平等提案”であることは少しキャリアがある記者ならすぐわかる。彼一流の心理戦です。

コレコレ氏が松本氏のマンションを特定し間取りを調べ、他の関係者にも話を聞き、その上で記事の決定的な間違いを見つけたのであれば傾聴に値すると思っています。論点を松本記事に絞るというなら、中立な場所を設定して、対面での話し合いなら検討してもいい。

それ以外の印象操作にお付き合いする必要性を感じません。他の問題に論点をすり替え続けるのなら、これ以上はお話する必要がないと思っています。
 
(了)


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