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ルポ 誰も知らなかった”小泉進次郎”



 いまから10年前。自民党が野党時代、眩いばかりの輝きを放つ若手政治家が政界デビューした。彼の名前は小泉進次郎。小泉純一郎元総理大臣の次男である彼は、誰しもが認めるサラブレット政治家だ。

 滝川クリステルとの電撃婚や環境大臣としての「セクシー」発言等で、現在も世間を騒がせ続ける小泉進次郎氏。いったい彼は”何者”なのか。その生立ちから学生時代、そして父親の背中を追い続けた青春時代、「米政府が首相候補として注視する政治家」(ワシントン特派員)と評価され緊密な関係を築いた米国留学時代を徹底取材した。当記事は政界のプリンスの”誰も知らない”一面に迫ったルポルタージュである。

 総理大臣候補との声もあがる、注目政治家である小泉進次郎氏の、大胆で細心、かつ”狡猾”な原点とはーー。


野党時代に輝いた 自民党のホープ

2010年5月28日、衆議院総務委員会で郵政改革法案が可決された。小泉純一郎・元首相が私念を燃やした郵政民営化は路線の修正を余儀なくされることになる。


「民主党は何のために政権交代したのか。期待はずれ、時代遅れ、うそつきに尽きる」


審議時間六時間で強行採決を行った与党民主党を、こう激しく批判したのは小泉進次郎・衆議院議員だった。当時野党だった自民党において、最大のスターとなっていたのが小泉元首相の次男・進次郎である。


「自民党執行部も始めはテレビ映りがいいという理由だけで進次郎を利用していた。ところが討論もいいし、質問が出来るということで国会でも重用されるようになりました」(政治部記者)
一年生議員ながら遊説局長代理など要職にも就き、全国から応援演説の依頼が殺到した。

「進次郎の財産はその謙虚さです。初当選後に挨拶回りをするときに、普通は秘書を引き連れて回るところを、単身で議員会館の各部屋を訪ねた。九十度くらいのお辞儀をして、『何分にも新人ですから』と挨拶をした。古参秘書はみな、単身で挨拶回りをした議員は始めてだと感激し、一遍でファンになった。谷垣じゃダメ、いっそのこと進次郎を総裁にとムードになったのはこの頃からです」(政治評論家・浅川博忠氏 *現在は故人)

地元紙の記者もこう回述する。
「一度取材をしただけで、次に会ったときに『○○さんですよね。今日は何の取材ですか?』と向こうから挨拶をしてくる。後援者に聞いても、何百人にも挨拶しているはずなのに必ず覚えていて『先日、お目にかかりましたよね』と言う。世襲議員にありがちな傲慢さがなく、抜群に記憶力がいいという政治家的な凄味も持っているのです」

 出馬時に巻き起こった激しい世襲批判も、その人柄とキャラクターで人気に変えてしまった。今や自民党のエース格と評される進次郎、彼はどのような軌跡を辿って政治家となったのか。

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■常に注目を浴び続ける小泉進次郎氏

女系家族に育てられた”甘えん坊”

 進次郎は八十一年に父純一郎、母佳代子のもとで生を受けた。しかし翌八十二年に両親が離婚、孝太郎(現・芸能人)と進次郎の兄弟は小泉家に残った。『無常の宰相 小泉純一郎』の著作を持つジャーナリストの松田賢弥氏が語る。

「小さいころの進次郎は、誰か人が来ると這ってでもその人に近づこうとしたそうで、母親を知らないせいか人恋しさを感じさせる一面があったそうです」

 兄弟は父・純一郎の二人の姉によって育てられた。
「長女・道子さんが家事を、もう一人の姉信子(純一郎の元公設秘書)さんが躾けなどの教育をしていたようです。信子さんは厳しい人で『進次郎!』とよく叱っていた」(近所の主婦)

 父純一郎は離婚時に妻が身ごもっていた三男・佳長とは一度も会おうとしなかったが、小泉家に残った兄弟には深い愛情を注いだ。

「父親は議員宿舎生活でしたが、兄弟には毎日電話をしていたようです。進次郎君も『お父さんはすごく自分のことを考えてくれている。お父さんが心のよりどころになっている』と話していました」(後援者)

小泉家の教育方針はエリート教育といよりは、自主性にまかせもの。兄・孝太郎も進次郎も、関東学院大学の付属校である関東学院六浦小学校に入学し、同中学・高校へと進学をしている。進次郎は甲子園を目指す野球少年として青春時代を過ごした。

4フォアボールを選ぶ、”手堅い男”

同校野球部顧問・小貫直俊氏が振り返る。
「彼が二年生のとき、夏の大会で初めて公式戦のスタメンで起用しました。そのとき彼は四フォアボールを選んだのです。試合後に『よく我慢してチームプレーをした』と誉めたことを記憶しています。高校生はたいてい打って目だってやろうと思うもの。彼は真逆で、堅実で地道なタイプだったのでビックリしました」

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