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2024年、「自分の仕事」ベスト5を考えてみた。
新年、明けましておめでとうございます!
2025年となり、今年も新しい挑戦をスタートさせる年が始まろうとしています。
そこで恒例の自分の仕事振り返り企画として、「仕事ベスト5」を考えてみました。2019年にフリーランスとなって6年目、もはやフリーランスとしてもベテランという年月を重ねました。
改めて考えるとフリーランスとは、常に自分をリニューアルする仕事ではないか? とも思えます。明確な指標はなく、達成度を求められることもないなかで、自分に飽きずにどう仕事をするか? が毎年問われているような気がします。つまりは毎年、反省ばかりで、やりきれなかったという思いを抱くことばかり。それでも僅かでも手にしたものもあった、そんな1年だったような気がしています。
正月休むと特にやることもなくなるということで、NOTEを書きがちで(笑)でも改めて振り返ると、これからやらないといけないことが見えてきて楽しいものです。それでは行ってみましょう!
第5位 松本人志はなぜテレビを支配できたか 「文藝春秋」4月号
2023年末に週刊文春が報じたスキャンダルをきっかけに、松本人志氏とテレビの関係についてルポしたのがこの記事でした。たくさんの資料を読み、人に話を聞いて書いた記事でしたが、本誌(月刊「文藝春秋」を関係者はこう呼ぶ)の紙幅でも書ききれないことが多々あり。noteでも追記的に記事を書いたほどです。
取材準備として松本氏のベストセラーである「遺書」を改めて読み返しましたが、活字好きとしては読むに堪えない本でした。雑談と雑感の羅列でナルシズムの塊。しかしながらあれほどヒットしたことはなぜか? と考えると当時の松本氏にカリスマ性があったから故でしょう。つまり当時の松本人志が自分の笑を最高だと考え、既存の権力に歯向かって行く様が"反逆のスター”としてカリスマ性を強めた。時代の寵児であったことが、遺書の稚拙な文章に息吹を与えていた大きな要因の1つではないかと個人的には見ています。
反逆のカリスマが権力になったときーー。松本人志氏は大人のタレントになるという教育を受けるべきであったのに、(ダウンタウンの産みの親でもある)大崎洋氏は松本人志氏を教育し、たしなめることをしなかったように見えます。大崎氏は立身出世の切り札としてダウンタウンを使い、テレビ局が畏怖するようになる過程は記事をぜひ読んでください。松本人志氏が”裸の王様”となってしまう構造がそこにはあり、もしかしたら24年末に起きた中居正広氏のスキャンダルにも似たような構造があったのではないかとも思わされました。
note版の追記では、万博というネクストステージに行こうとした大崎氏とダウンタウンの悲劇に焦点を当てて書いています。ギリシャ神話のイカロスの翼は、人間の技術への過信に対する戒めとされています。大崎洋氏とダウンタウンが万博という名誉を掴もうとした所作は、権力を過信した者の墜落劇だったのではないか。そんな思いも抱きました。note記事を期間限定(1月4日まで)で無料にしたいと思いますので、ご興味ありましたらこちらもぜひご一読ください。
第4位 【現地発ルポ“斎藤前知事現象”】増殖中の支持者に共通する「メディア不信」「大多数がSNSで情報収集」 「週刊ポスト」11月1日号
2024年の大トピックスの1つといえるのが、不信任案を跳ね返し出直し選挙で斎藤元彦氏が再選したことでした。この記事は編集者に「斎藤現象に赤石さんはいち早く気がついた」と評価を受けた記事でした。
不信任案が全会一致で可決され失職した斎藤元彦氏。当時の斎藤氏は全メディアから叩かれており、再選するはずがないと思われていました。ある情報源から「現地では異変が起きている」という話を聞き現地入りしたのが10月初旬でした。まだ50~60人ほどでしたが、熱狂的に支持を受ける斎藤氏を見て、彼が惨敗することはないと確信を持ち記事を書きました。
この記事は「斎藤氏を擁護している」とけっこう批判をされたのですが、現実を見通すという意味ではあってもいい記事だと僕は考えています。斎藤元彦氏を支持するから記事を書いたのではなく、斎藤現象が起きているという現実を書いたのがこの記事です。そして斎藤現象は僕の想像を超えて大きくなりました。
記者は基本的に不偏不党であるべきだというのが僕の自論です。斎藤氏をもう一回フラットに見てみようというのがこの記事の趣旨で、その後、改めて検証した結果、彼は常に選択を間違える人物だという評に落ち着きました。つまりは政治家としての資質に決定的に欠ける。一周まわって同じ結論に辿り着いたわけですが、それはそれで自分としては良かったと思っています。斎藤現象をより深く理解するプロセスとして経験しておくべきだったからです。
第3位 世耕弘成氏、自らが理事長を務める近畿大学で公益通報されていた 「週刊ポスト」12月6日・13日号
出直し兵庫県知事選が盛り上がるなか、僕が兵庫県を捨てて新たな取材先として選んだのが近畿大学でした。自民党裏金問題の「キーマン」にして、”参議院自民党のドン”だった世耕弘成氏についてルポをしようと考えたのです。
2022年に報じた自民党京都府連マネロン選挙買収疑惑から、自民党の選挙の裏側には個人的に興味を持ち続けていました。世耕氏を取材することによって、その一端が見えそうだと考えたのが着手した理由の1つです。近畿大学で公益通報されたという話のなかで、僕としては和歌山選挙区の実態を掴みたいという拘りがありました。
いくつかの疑惑があるなかで、最終的には近大の政治利用に絞り記事を書きました。正直なところ思ったほど話題にならなかった記事ですが、数週間に渡り取材を重ねた記事としては一定の”手ごたえ”がありました。また、世耕氏の存在がクローズアップされて、問題が再燃するときがあるでしょう。
取材記を下記記事でも公開していますので、良かったらこちらも期間限定(1月4日まで)で無料公開しておりますので覗いてみてください。
第2位 小池百合子(71)の公約「ドクターヘリ」で都民の血税2.7億円ムダ遣い《国交省が改善命令、着陸トラブル、キャンセル8割》「週刊文春」6月13日号
今年の下半期、心血を注いだテーマが東京都のドクターヘリ問題でした。同問題は小池都政の特徴である”掛け声よし、中身なし”を象徴するかのような杜撰極まりないものでした。
じつは東京都の救急問題は、個人的に強い思い入れがあるテーマでした。
2008年にジャーナリストの伊藤隼也さんとタッグを組んで、「ルポ『産婦人科の戦慄』首都東京を「たらい回し」にされ「36歳妊婦」は死んだ」という記事を週刊文春で書きました。これは都内病院で起きた救急たらい回し問題を告発した記事で、連続5回のキャンペーン追及を行いました。当時、記事は大きな話題となり、文春に副知事(当時)だった猪瀬直樹氏が登場して救急体制の改善を約束するという形にまで発展しました。
僕は連載最終日の入稿を終えて過労&インフルエンザで倒れ東京医科歯科大学病院に入院することになりました。入院先で同記事が「雑誌ジャーナリズム賞」大賞を受けたいう報を聞くことになりました。
記事としては一定の評価を得ましたが、個人的にはある葛藤がありました。産科救急問題は人が亡くなることで話題になった、物事が動いた側面がありました。悲劇、そうなる前に止めることが、本来的なジャーナリズムのありかたではないのか、という葛藤を抱いたのです。
東京都ドクターヘリ問題は、その葛藤を16年の歳月を超えて晴らすべく取り組んだ仕事でした。
東京都ドクターヘリでは、まだ人命に関わるような明確なトラブルは起きていません。しかし、このままではいずれ大問題となる。そんな思いで書いた記事です。第二弾では「《告発レポート》肝いりドクターヘリに死角あり 小池都知事が放置した羽田空港㊙演習の“警告”」という記事を出しました。
これはまさに不作為による事故が起こる前に、何かを動かしたいという気持ちで書いた記事でした。
記事の概略をいうと、羽田空港はじつは救急空白地帯になっており、羽田空港の事故訓練では大惨事が起きた場合に重傷者の救急搬送が遅れ大惨事となるという予想が出ていました。その理由の一つが羽田空港では救急車のみで事故対応を行っており限界があった。そのためにドクターヘリの羽田空港乗り入れが渇望されている状態にありました。そうしたなかで、2024年1月2日に海保機とJAL機の衝突事故が起こったのです。同事故ではシュミレーションで予測された通り救急の遅れが起きました。しかしーー、記事が出ても東京都は動こうとはしませんでした。
更に信じ難いことが起きます。
10月に羽田空港で行われた災害訓練を、東京都ドクターヘリが参加ドタキャンしたのです。当日の訓練は1月2日事故を受けての、再発防止を念頭に置いた重要な訓練でした。こんな不作為はあってはならないと思い、僕は第3弾の記事を、こんどはダイヤモンドオンラインに書くことにしました。それが上記記事です。
年末に出したダイヤモンドの記事を東京都がどう捉えているかはわかりません。東京都ドクターヘリの問題点は、東京都・杏林大学・ヒラタ学園というドクターヘリ事業を担う三者が、それぞれバラバラに物事を考えていて、人命を第一とする救急に対する「使命感」が乏しいことが問題であると僕は考えています。そのなかでも東京都は、タクトを振るうべき立場にいるのに、悪い意味での”事なかれ主義”に染まっており積極的に動こうとしない。その実態はダイヤモンドオンライン記事をぜひ読んでみてください。
構造の欠陥を書いた記事にはセンセーショナリズムがありません。だから東京都も静観で、と考えている節がある。それでも関係者には強い危機意識を持っている人がたくさんいました。その人たちの思いを受けて記事を書いた部分が僕にはありました。針の一刺しでしかないかもしれませんが、何かが良く成ればーー。
まだ、葛藤の答えは出せていません。
第1位 YouTube「元文春記者チャンネル」登録者10万人!
ありがたいことに元文春記者チャンネルが登録者10万人を超え、まずは第一の目標を達成することができました。2020年から始めた「自分の仕事ベスト5」企画において、書籍や記事ではない仕事を1位にするの初めてのことです。
なぜYouTubeを始めたのか?
正直なところを改めて書いておきます。2019年にフリーランスとなり、2021年までに本を二冊出しました。多くの雑誌にも寄稿をさせて頂き、外的に見るとフリーランス生活のスタートとしてはまずまず順調だったように見えていたと思います。しかし、自分の中には強烈な不安感がありました。出版業界に元気がなく、特に週刊誌の売り上げは右肩下がりでした。いつまで今の状態で仕事を続けることが出来るか、という焦燥感があったのです。
書籍がバーンと売れれば、利益分を取材費に充ててまた本を書くというサイクルを作ることが出来ます。しかし1~2年かけて書くノンフィクション本が大きな利益を産む可能性は、少なくとも自分の本ではありませんでした。
なぜ本が売れないのか? と自問自答しました。力量不足、テーマの問題、謙虚に考えればいろいろありますが、第一の原因として「知名度がない」というのが大きな原因だと僕は自己分析しました。
じつは当時ホストに興味があり、研究を重ねていました。虚業とも言えるホストになぜ金が生まれるのか? 彼らが重要視しているのが(色恋営業以外に)「ブランディング」と「知名度」でした。売上でブランディングする人もいれば、炎上で知名度をあげるホストもいます。2021年当時、ホスト界ではSNSマーケティング全盛となっていたことがわかり、これを参考、応用しようと考えました。
書籍もまず手に取ってもらわなければ話になりません。手に取り面白そうだと思えば買ってもらえる。本や著者名が知られていなければ、市場的には存在してないに等しいわけです。文春時代はそれなりに業界に名前を知られていた気もしていましたが、フリーになると赤石なんで世間ではまったく認知されていないことに気がつきます。まあ井の中の蛙だったわけで、当然といえば当然です。だから書き手としてビジネスをしていくためにも、それなりの知名度が必要でした。
知名度を上げるためにSNSマーケティングに取り組みました。X、noteもその1つでした。でもなかなか上手くいかず苦戦しているなかで、あるときYouTubeをやるというチャンスが訪れたのです。
YouTubeをどうやるか。もちろん僕は記者ですから、ホストのようなブランディングは出来ません。まずは元週刊誌記者というブランディング(まぁそのままですが希少なので笑)で売りながら、見せ方の戦略が必要だと思い2つのことを考えました。
1つは、あまり固すぎる番組にしないこと。自分で言うのは何ですが、僕は根が真面目なので一人でやると延々と堅い話をしがち。そこでいつも馬鹿話をしている甚野記者を仲間に引き込みました。甚野記者は文春時代、ほぼ毎日飲んでいた同僚で、お互いに自然に話が出来る。SNSは個人メディアであり、お互いの素を出すことがコンテンツ(おじさんのガチトーク)になると考えました。かつ、彼は記者としての実力もピカ一なので、カジュアルな話のなかにも記者っぽさが滲むはずだとも考えたのです。多くの同業YouTubeを研究した感想としては、だらだらと話すだけでは失敗する可能性が高いように思えました。そこでYouTube用の原稿を書き、素を出しながらも、なるべくサクサクとトークが進むような形を目指すことにしました。
2つ目は、裏テーマの設定です。知名度を上げるためのYouTubeではありますが、それだけでは面白くないなと思ったのです。そこで、1つは週刊誌を盛り上げる、もう1つはノンフィクションを盛り上げる、ということを裏テーマにしようと考えました。僕はYouTubeを自らやっていて言うのも何ですが、根本的には社交的ではなく目立つことも好きではない。だから自分の為だけにYouTubeをやるといずれ消耗してしまうだろう。知名度のために始めたYouTubeですが性格が性格だけにそれだけでは走れない。業界のために何か出来ないかと考えた方が仕事としては魅力的だと思ったのです。モチベーションを保つためにも、YouTubeではもう少し視座の高いもの、大きいものを目指そうと夢想的に考えたのです。
とはいえ正直、苦しみました。
記者の仕事と並行してYouTubeをやっていくことは思った以上に負担が大きかった。週3~4は記者業、週1~2はYouTubeというルーチンのなかで、それなりのクオリティをどう上げればいいのか。専業YouTubeたちと闘って行かねばならぬのです。
長く週刊誌で仕事をしていたために、マルチタスクというのが大の苦手になっていました。週刊誌は一週間1つのテーマを追うシンプルな仕事です。全てを一つの記事にベットできる仕事でした。しかし、記者とYouTubeの仕事を平行していくことで混乱するわけです。記者の仕事をしながらも、週末にはYouTubeがあるので同時並行的に番組構成を考えないといけない。取材とは違う脳みそを使わなければいけない。たった3日しか時間がないことで、取材も十分に尽くせないときが多々ありました。それもストレスとなりました。
やはり10万人という数字は遠かった。登録者は少しづつ伸びてはいきましたが、右肩上がりにバーンと伸びることはありませんでした。この歳になってまだ地道な努力かい、と思いながらも、それが人生かと思い取り組む日々でした。2023後半~2024年前半にかけては、むしろYouTubeに力を入れて何とか結果を出そうと試行錯誤しました。正直、心折れそうな瞬間も何度もありました。数字を追うことに意味があるのか? 記者業が疎かになってはいないか? いくつもの疑問が浮かび葛藤する日々でした。
ようやく良い結果が出るようになったのが2024年の後半からでした。ゲストで来ていただいたライターさんの本が、YouTube出演後にAmazonランキングが上昇するという話を何度も聞くようになりました。相棒である甚野さんのデビュー作も好調な売れ行きを見せ、YouTubeが書籍販売に一定の効果があるということが結果としても出るようになったのです。そうこうしているうちに10万人登録も突破しました。
数字には大きな意味はないとは判っていますが、ようやく次のステージを目指せるといまはホッとしています。次の目標は、記者業とYouTubeのサイクルを有機的なものにすることです。つまり記者業にもう一度力を入れることが出来る環境(気持ち的に)になったことでウキウキしています。
ランキングの5位~2位までを見て頂ければわかるように、僕は基本的には地味な記者です。SNS受けするような派手さがない人間です。それでもSNS市場で闘うと決めた以上は、地味なりにも結果を出す必要がありました。どうせ今後も地道に努力しないといけない訳ですから(笑)、2025年は20万人登録、いずれは100万人登録を目指して行こうと思っています。そうなればメディアとしても認知されるかもしれませんし、いろんな記者がここでスクープを発表したいと言ってくれるかもしれません。
いずれ元文春記者チャンネルを、記者たちが集う楽園にしていきたいなーといまは夢想しています。
(了)