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京都「選挙とカネ」 取材記

いざ京都へ

新幹線が米原に差し掛かったころ車窓の外には白い景色が広がっていた。

東京が大雪に見舞われた1月5日、僕は京都駅に降り立った。冷えた空気は感じられたものの、白銀の世界となっていたのは米原あたりだけで京都では雪は降っていなかった。この数週間で勝負をかけよう、僕はそう考えてこの土地に来た。

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米原の雪景色

文藝春秋デスクのN氏から1月中に入校できないか、との相談を受けていた。テーマは「選挙買収」。なかなか難航が予想されるテーマだった。そこで1月に取材時間を作る為に、連載やかかえている企画については関係者に連絡を入れて一端待って頂くことにした。一月は仕事をせずに取材に集中する。もし記事化できなければ原稿料が入ってこなく無給となってしまう可能性もあった。賭けと言えば賭けだ。

京都市内のホテルに投宿した僕は、コンビニのおにぎりを頬張りながら政治資金収支報告書をめくる作業から取材を始めることにした。

昼はリュックに資料を詰め込んで関係者を訪ね歩き、夜はベッドに政治資金収支報告書を広げて金の流れをチェックする。内部資料の解析、そして政治資金収支報告書の読み込みにおよそ一週間ほどの時間を費やすことになった。不足している資料については、関係者を周り入手を目指した。同時に証言を誰から取るべきかの取材計画も立てなければいけない。

「ばらまき」

週刊文春時代はチーム取材が多かったので地方出張は楽しい思い出が多かった。ところがフリーランスになると、基本は一人で動く。

「これ、ほんとうに着地できるのかなぁ……」

資料を捲りながら、なんとなしに気が重くなってきていた。


そんなときに、自分を勇気づけるために手に取ったのが一冊の書籍だった。

「ばらまき 河井夫妻大規模買収事件 全記録」(集英社)

同書は中国新聞「決別 金権政治」取材班による、近年まれに見る大疑獄事件を追ったドキュメントだった。戦後最大の選挙買収事件ともいわれた河井夫妻による公職選挙法違反事件とは規模は違えど、まさに今回手がける京都府連の選挙買収疑惑と同じテーマを追った本だけに勉強の意味もあった。


河井克行氏の選挙違反は週刊文春のスクープから口火を切った。「法務大臣夫婦のウグイス嬢『違法買収』」疑惑を文春が2019年11月にスッパ抜いたのだ。キャップはその美貌で有名だったK記者。オレンジ色のハイヒールをよく履いており、とにかく目立つ美人記者だった。

当時、僕は既に文春を離れフリーになっていたが、河井氏の件で週刊文春が10人強の記者を広島に投入しているという噂は業界を巡っていた。同書「ばらまき」では文春スクープに触発された中国新聞の記者たちが、意地をかけて選挙買収の実態を明らかにしていくという熱いドラマが描かれていた。

K記者は後輩である。完全実力主義の世界である記者には先輩も後輩もないのだが、その活躍は嬉しくもあり、負けてられないというプレッシャーにもなる。中国新聞は文春に抜かれたことで火がつき反転攻勢をかけた。

「やっぱり僕も意地を見せないといけないなー」

京都市内・烏丸のカフェで読書を続けながらそう改めて決意をし、取材に向けて心を引き締めた。

「Let it be」

それから20日間、さまざまなドラマがあった――。

取材の最終段階となり文藝春秋編集部から応援でI記者が派遣されてきた。I記者は“文藝春秋の小室圭(理由は内緒)”と僕だけが呼ぶイケメン記者。京大卒の秀才であるが性格は小室氏とは違い控え目。ひっそりとロエベの財布を愛用しているところに、そこはかとない”何か”を感じさせる男だった。京都は彼にとって大学時代を過ごした第二の故郷でもあるので、土地勘があったことも取材では大いに助かった。

一月後半は二人で夜回りの日々を送った。選挙買収を証明するためには内部資料だけに頼らず、当事者の証言を一つでも多く積み上げなければいけなかった。取材は最後まで記事にできるかできないか瀬戸際のなか行われており、ピリピリした緊張感が続く毎日だった。

週刊誌時代から、ひょっとしてこのネタは壮大な騙し絵であり、そこに僕は嵌められているんじゃないか? という不安に襲われることが多かった。要は自分が見たものを、素直に信じれるほどの自信がないのだ。僕の人間としての弱さでもある。だからその不安を打ち消す為に取材を重ねる。揺らぎがちな心を収めるためには「動く」しかない。そんな気持ちで走り回った。


取材を終えI記者と京都市内で一献を傾けたあと、二人でタクシーに乗り込んだ日が思い出深い。

その日、いくつかの決定的な証言を得て僕は高揚感もあり酩酊していた。

タクシーの車内にはビードルズの「Let it be」が大音量で流されていた。

(確か「Let it be」はなんとかなるさみたいな意味だったよな。そうだ、なんとかなるだろう!)

そう心の中で呟いていると。

「ビートルズはエモいですね!」

とI記者が夜景を眺めながら呟いた。なんか彼も上機嫌のようだ。その様を見て僕もなんとなくテンションが上がってきて、この取材を最後まで駆け抜けようという気持ちになったことを覚えている。

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大問題発生


だが、いざ記事を書こうという段階になった時に、新たな障壁が生まれた。今回の取材は「文藝春秋」で発表する予定だった。文藝春秋は原稿の締め切りから雑誌発売まで10日以上も間隔が空く。これだけ広く取材展開したネタが、どこのメディアにも報道されないままはたして10日間も持つのか? という問題が浮上したのだ。

週刊文春であれば締切から1日置いて雑誌が発売される。火曜日校了して木曜日発売だから、水曜日の1日さえ超えればスクープとして記事を世に出すことが出来る。週刊文春のスクープは文春オンラインで水曜日夕方にスクープ速報を打つので、事実上、空白期間を作らないで報じることができるともいえる。ところが文藝春秋は発売まで、記事を入稿してから10日以上もあるのだ。

聞くと文藝春秋は全国同時発売することに価値を置いているため、締切が早くなっているのだという。つまり雑誌を印刷し、全国配送の準備をするためには一定の時間が必要とされる。週刊文春の場合は東京や大阪の主要エリアは木曜日発売であるが、福岡は金曜日、沖縄だと土曜日と地域によって発売日が異なる。速報性を重視するためにそうなっているのだ。 

京都府連会長である西田昌司氏の側近、元部下などの関係者にも取材は行った。当の本人にも取材は申し入れた。それで10日間もこの話が他社に漏れないなんてことはあるのか? そうした不安にかられたのだ。

そこで情報漏洩を防ぐための施策をいくつか打ち、あとは運を天に任せるしかないと腹を括った。

オンライン記事

自民党から抗議文が来た!?

――取材を振り返って思い返したシーンがあった。

昨年末、僕は別の企画である告発者と会っていた。彼は有名芸能人の元スタッフで、とにかく相手を貶めたいという気持ちが強かった。有名人から酷い仕打ちを受けたこともあり、その気持ちはよく理解できた。

「資料も写真も全て出してください。週刊誌は騒ぎになればいいんですよね」

彼はこう言った。恨みを晴らしたい。その気持ちは理解できる。だが僕たちは、ときに告発のリスクについても説明をする責任がある。騒ぎになればそれでいいという愉快犯とは違うのだ。報道にはリスクがつきものだ。それでも尚、告発をしたいのか。

「もちろん構わないけど、これを出したらあなたが告発者だと分かりますよ。それでもいいんですか。相手を刺しに行く訳ですから、相手から嫌がらせが来る可能性だってあります。それでも“刺し違える”お気持ちがあるなら、記事にできるか確約は出来ませんが協力します」

そう僕が返すと、彼は黙ってしまった。

「もういいです」、と一言語ると彼は立ち去っていった。


記事は逃してしまったかもしれないが、中途半端にスキャンダルをやれば返り血を浴びる。「きっとやらないほうが彼のためだったはず」、そう僕は自分に言い聞かせた。

記事は文藝春秋で発表した

今回の取材が成立した背景には、様々な「覚悟」があったと思う。宮崎謙介氏が実名でコメントをしてくれたのも、自らの経験を話すことで政治を変えたいという彼なりの「覚悟」があったはずだ。内部で見つめていた元自民党職員、選挙買収のカネを渡した側の元国会議員、受け取った側の地方議員、みな紆余曲折がありながら「選挙買収はあった」と証言をしてくれた。その「覚悟」のバトンを記者は受け取り、「覚悟」を持って記事を書かねばならない。

2月9日にスクープ速報として「内部文書入手 自民党が一億円選挙買収を行っていた」という記事が配信された。

オリンピック開催中の記事だけに話題にならないのでは、という不安はあったが。ヤフトピにも上がり、一定の関心を持ってもらえたようだ。取材としては完璧に近い形が取れたはずだ。二十日間、京都に張り付いて取材を続けた思い入れがある記事だけに、雑誌発売前はやきもきする日々が続いた。

翌、2月10日には京都新聞が「内部文書にマネーロンダリング」との一報を打つ。文藝春秋発売日に同着記事を出してきたのだ。地元紙の参戦は中国新聞の巻き返しを思い起こさせ、僕としても気合が入る展開だ。

ところが先ほど一報が。京都府連から文藝春秋に抗議文が来るという話が出ているそうだ。覚悟はしていたが、まだまだ予断は許さない状況のようだ――。

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