
コラム 兵庫県知事選その後…
まだ余波が続く兵庫県知事選。ある意味、こうなる予感は斎藤元彦氏をインタビューしたときに頭をよぎりました。ただ、当時は斎藤氏の支持はⅩ中心でした。2位になる可能性は高かったですが、もう1歩足りないかというのが当時の感想でした。
僕は失職後の斎藤元彦氏をインタビューしました。そのときの狙いについて、改めて「その後…」として備忘録として書いておきたい。
斎藤元彦氏のインタビューには賛否があり、支持者からはフェアに取材してくれたと言われることもあれば、同じ支持者でもマスゴミと同じ質問を重ねているという批判もあった。一方で、アンチ斎藤氏層からは「話を垂れ流したじゃないか」、とけっこう批判を受けました。ある意味、アンチの批判は織り込み済みではありましたが、失職し私人になった斎藤氏に変化の可能性はあるのかというのが僕の興味でした。
記事にも狙いがありました。失職のタイミングで彼の話をまず聞くことは1つのニュースになりえるし、失職後に起きた斎藤現象の萌芽を伝えるのが2つ目の取材目的でした。実際に斎藤躍進の可能性を東京記者のなかではいち早く指摘したと自負しています。
インタビューは喧嘩する場所ではなく、話を聞く場所です。立場ないときは一候補者として、批判すべきとこはしますけど、なるべく中庸に見る。取材スタンスはそんな感じで考えていました。丁寧に聞いているから、垂れ流しと思うのかもしれませんが、局長に言葉以上のお詫び行動はないのか、プライベート問題、陰謀論についても聞いています。インタビュー全文はnoteにアップしてますのでご興味ありたしたらチェックして見てください。
選挙期間中の赤石の発言が、大人しいことに不満を持ったかたもいたようです。これについても付記しておきます。
僕は兵庫県県民でも活動家でも、どっかの党員でもないので、選挙期間中は誰を支持するとか落ちるべきとは発言しないことを旨としています。落選運動はしません。僕は部外者であり、有権者が判断すべきだと思うからです。そこが物足りないと思うところかもしれませんが、僕なりに考えた記者としての流儀なのです。
政治記事を書いて、変わらない現実、選挙の結果に喪失感を覚えるという経験はどの記者にもあると思います。僕も経験したことがあります。ただ経験重ねているなかで思うのは記者はあくまで記者であり、選挙行動については有権者を尊重すべきではないか? ということです。
ただ権力者になれば話は別です。彼が権力者であるうちは厳しく見る。特に今回はあまりに醜い当選だったので、選挙期間中に我慢していたことが爆発してしまったというのが本当のところです。
了