〈スーツ 及び ひげ について〉
スーツが嫌いだ。
なるべく着たくない。
何で嫌いなのか、考えたからちょっと書いてみる。
人の印象は第一印象で決まると良く言うが、それは解る。
パッと見ての普段着と、普段聞く音楽がわかれば、6,7,8割その人をサーチ出来る。(私の場合)
好きな食べ物とか、乗っている車とか、かけてるメガネの形状とか、放つ香りとか、履いてる靴、笑った時の顔、相槌の雰囲気とか絡み合うと、もっとその人を理解できる。
しかし、スーツを装備した人にエンカウントしてしまうと難儀だ。
スーツは、その人の個性を隠してしまうからだと思う。隠すというか、平すというか、消すというか、殺すというか、とにかく、本当の姿を見えなくしてしまうには最適の装備品だと思うのです。価値基準の判断をも平らにしてしまう優れものだ。
素材も薄くて硬くて、まるで下敷きを着ているかのように真っ直ぐだ。
着心地についての最強の素材はヘンプコットン(麻綿)だ、という答えが自分の中では出ているのでそれは置いておき、問題は価値基準が霞んで見えないということ。
たくさんの大人はスーツで身を包んでいる、そしてこれから会う多くの人達は恐らく、スーツ装備で現れるだろう。
人の本当の姿は、普段着だ。
スーツは、朝支度する装備品だ。
防御力を上げてくる。いや、薄い生地だから下がっているかもしれない。
ヒゲも同じだ。
※仕事に甚大な支障が出る様な方を除く
生やしたい人も居れば生やしたく無い人、生えない人が世の中には存在する。ただそれだけの事なのに、髭を生やさないことがこの国では通常とされている。
その通常を、渋々受け入れながら何となく今まで生きてきた。むしろそれが嫌だったから社会に溶け込めなかった(今も)のかもしれない。
髭濃い人は、剃るのが結構辛い。剛毛故、硬くて、毛根が太くて、何回も皮膚をカミソリが往復するから痛いのだ。髭剃りは実は結構苦痛なのである。
身体防衛機能本能で指示を出し、命令に従って伸びてきた毛を、外部圧力によって無理矢理ツルツルにされることは、誰が望んでいるのだろうか?
せめて、短くするだけに許容してくれれば、皮膚はだいぶ楽なのです。
そしてそれらが、その人の本当の姿なのだと思います。
それを判断したいし判断される世の中だったら、老若男女、今よりは少し嘘の無い世の中になていくのかなぁと思ってしまうわけです。
しかし今、「通説(これまで)の価値観」に向かって進んでいくということは、嘘の世界に飛び込んでいくような気がして、小指の爪と同じ大きさで、恐怖が襲ってくるのです。
最早私の最大の弱点は、ヒゲとスーツなのかもしれない。
今現在。
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