〈9月末のあれこれ〉
今週末は催事が沢山あり余す時間がない程。
特に、11年目を迎えた、たんとマルシェ。
東根において、マルシェ文化を根付かせた功績は大きい、東根最大のマルシェ。東根のマルシェの代名詞、たんとマルシェ。
私が服屋をやり始めたときからずっと付き合いがある。
そこからずっと繋がっている(と思っている)。
このマルシェで、様々な経験と実験と挑戦を積んできた。
服屋ウタタネの出店では、今思えば、異次元の空間づくり を表現してきたように思う。
ライティングにも力を入れていた。
ステンシルを得意としていた時期もあり、アクリル絵の具を使って、自分が作った型紙をTシャツへペイントして販売していたこともある。
最終的には、タープを張ること無く、軽ワゴンの荷台から直接販売する手を閃き、展開と撤収の究極にたどり着いた。
結婚する前のかみさんと、夢紡工房の大越と、三人でワクワクを味わっていた日々が懐かしい。
飲食にも携わってみたいと思うようになり、実験的なカリー屋出店もたんとマルシェからだった。
カリー屋初期の頃は、キッチンカーではなく(そもそも当時はキッチンカーがあまり主流ではなかった)、芝生の上でタープにて、並びに、ご飯ではなくナンで提供していた。ナンをトースターで焼く為に、ステージ下の電源からうまく隠れて電気を引っ張って来てたのはいい思い出。
そこからカリーの研究に勤しみ、試作をしては色んな人に食べてもらい、自分なりの究極の味が出来た。誰が作っても同じ味が出来るようにと事細かく分量も割り出してレシピも作った、いわば遺書のようなものかもしれない。
販売場所まで移動出来たら、、と思い、キッチンカー作戦を企てる。
クラウドファンディングにも挑戦してみた、結果は目標に届かなかったけど、賛同者が少なくないことに励まされた。
車種の選定から動線を意識した内装のデザインまで一から自分で模索したことが良い経験になっている。
様々準備が整い、いざ出動となったとき、コロナが田舎でも蔓延した。すべての計画が頓挫しかけた。
けど、救ってくれたのは、我らが おーばん だった。
快く敷地を貸してくれた おーばん には感謝しか無い。
たんとマルシェにも出店し始めると、当時ご飯物があまりなかった故、お昼の二時間くらいで用意していった100食分が毎度売り切れる。炊飯が間に合わずお客さんを待たせてしまうこともしばしば。それでも食べたいと待機して下さることに激励を感じる。
回顧すれば永遠に終わらなそうなので、此処でやめておくが、自身の変化にとてつもなく影響を齎してくれたのが、たんとマルシェだった。
最近は出店する機会が無くなってしまったので、歌を唄わせてもらうことで、(勝手に)少しでも恩返しをしているつもりでいる。
10年くらいの付き合いだと、クラフトもフードも、顔馴染の出店者さんもたくさんいる。
私にとって、そういった旧友と、一年に二度、再開を喜べる場所でもある。
仲間の生存確認が出来る希少な聖域、たんとマルシェ。
常識の外に、本当の人間世界があるのだと、気づいている人たちが集う、東根の たんとマルシェ。
ほんとにいつも、ありがとう。
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