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1 イントロダクション
ここ数カ月、僕はヴェネト通りにあるホテルフローラで暮らしている。最上階にある小さなスイートルーム。そこにはふたつの部屋と観音開きのガラス戸がある。僕はここから世の中をスパイする。
眼下には静寂に包まれたボルゲーゼ公園がある。毎日明け方近くになると、僕は公園を散策する。近くの動物園からはライオンの吠える声が聞こえてくる。そして、樹々の葉の上の雫がゆっくりと乾いていくのを観察する。
自動車のエンジン音や人々の声が聞こえ、町が目覚めだすのを感じると、僕はすぐに部屋に戻る。この空間は僕の世界のすべてなのだ。
1976年冬。僕の新作映画『サスペリア』の撮影準備がもうすぐ終わろうとしている。
僕は今、ふたりの娘と離れて暮らしている。フィオーレは母親と一緒にトスカーナにいる。アーシアは一歳になったばかり。アーシアとは一度も会っていないのに等しい。
(トップの写真はホテルフローラ)