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ダリオ・アルジェントのイコノグラフィー(図像学)
絵画と映画について
ダリオ・アルジェントの作品では、しばしば「絵」が道具として用いられてきた。例えば、監督デビュー作である『歓びの毒牙』では、殺人を描いた一枚の絵が引き金となって、犯罪者の殺人衝動が呼び覚まされる。また、『サスペリアPART2』では、壁に塗り込められた不気味な一枚の絵が殺人犯を探すための重要な手掛かりとなる。『サスペリア』に登場する部屋の壁紙の過激なデザインも特徴的である。『スタンダールシンドローム』では、ウフィッツィ美術館に収蔵されている名画の数々をはじめ、様々な絵が登場する。
ダリオ・アルジェント作品における絵画の使用はどのような意味を持ち、どのような効果を映画にもたらしているのだろうか。この稿では、アルジェント作品と絵画の関係について扱う。
アンドレ・バザンは絵画と映画について、次のように説明している。
演劇であればフットライトや舞台上のセットがあることでそうなるように、絵画の場合、絵画のまわりを囲む額縁があるために、絵画と現実そのもの、そしてとりわけ絵画が表現する現実とが対置される。(中略)いいかえれば、絵画の額縁はその中で空間が方向を失うような場を作り出す。自然の空間や私たちの活動を外側から限界づける空間に対して、それは内側へと向かう空間を対置するのである。眺められるべき空間はただ絵画の内部のみに向けて開かれる。
一方、スクリーンの外枠とは、「フレーム」という専門用語がそう思わせるような映像の額縁にあたるものではない。それは現実の一部分の覆いを取ってみせるための「マスク」なのである。
額縁が空間を内へと収斂させていくのとは反対に、スクリーンが私たちに見せる一切のものは、すべてが外の世界に際限なく広がっていくはずである。額縁は求心的でありスクリーンは遠心的なのだ。
(アンドレ・バザン(1975)「絵画と映画」『映画とは何か』)
絵画とは額縁の内側こそが眺められる空間であり、額縁の外には空間が意識されないものである。それに対して、映画では、スクリーン上で描かれる空間は現実の世界の一部分を切り取ったものであり、観客はスクリーンの外の世界を意識することになる。と、バザンは指摘する。
言い換えれば、絵画においては、キャンバスに描かれているものが全てであるのに対し、映画では、スクリーン上に描かれているものは空間の一部分に過ぎない。観客はスクリーンの外の世界を無限に感じ取ることになる。
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