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短編小説「サヨナラ、私の都」

 思ったよりも荷造りに時間は掛からなかった。午前10時頃に荷造りを始めて、午後2時には粗方の作業は終わっていた。しっかりと種類別に仕分けしてある。
 近所のスーパーで貰ってきた大きなダンボールが1つ余ってしまった。足りないよりはマシと思って多めに貰ったは良いものの、やはり役に立たなければ邪魔でしかないな。この4畳半の部屋にとっては尚更だ。

 私がこの部屋に住んで4年。地元から上京した時のままの荷物ならもっと作業時間は短かっただろう。コッチに住んでからたくさん服を買ったし、家事に役立つグッズを揃えた。必要ないと思って実家に置いてきた高校時代の卒業アルバムですら、何度か帰省するうちにコッチへ持ってきてしまっていた。
 家族から入居祝いに貰った時に設置したままの薄型テレビや、マンガをたくさん買うと見込んで用意した本棚を退かした時に現れた床の日焼けが年月の経過を物語っている。

 私は母に連絡を入れた。明日には家族が駆けつけてくれて、この部屋を掃除する。荷物も新しい部屋へ持って行く。今度の部屋は今よりもずっと都心に近くなるから便利だ。
 母から「了解!」とだけメールが来た。なんだかひと段落した気分になったらお腹が空いた。そういえばお昼ご飯をまだ食べていなかった。
 最後のお昼ご飯は何を食べようか。

 私は外へ出かけた。最寄駅近くの大型ショッピングモールの中でお昼ご飯を済ませよう。
 自宅から歩いて5分ほどでスーパーが見えてくる。確か1年前にオープンしたばかりの少し大きなスーパーだ。その前はどんな店があったのか、はたまた駐車場だったのか、あまり覚えていない。それだけこのスーパーが馴染んでいるのだろうか。このスーパーでたくさんの食材を買った。冬には鍋を作るために野菜コーナーに足を運んだ。おかげで野菜の値段が高いか安いかの判別が出来るようになった。
 ここで買い物をすることで貰えるポイントカードも明日からは必要なくなるのか。もったいない気はするが、仕方がない。
 スーパーを過ぎるとしばらく何もない住宅街。駅へ向かうためによくこの道を通っていた。幅の広い真っ直ぐな車道で、数百m先の信号がなんとなく分かるくらい見晴らしが良かった。この真っ直ぐな道を自転車で走るのが心地良かった。
 しばらく歩けば突き当たりのT字路に出る。50m先のそのT字路の歩行者用信号機が赤から青へと変わった。私はそれを見るなり駆け出した。背負っているリュックが左右へ揺れるのでとても走りにくかったが、なんとか横断歩道を渡った。信号は私が横断歩道を渡り始めた頃に点滅し始めていた。少し息が上がってしまい、呼吸が落ち着くまでその場でじっとしていた。
 この信号は赤になると長いのだ。横切る道路の交通量が多く、住宅街を向く信号は青でいる時間が短い。この横断歩道で何度も時間を無駄にしたか。急いでいる時は尚更憎らしかった。でも心に余裕がある時は明日の予定を振り返るための時間だと思って落ち着けたこともあった。
 駅まではもう少し。だんだんと人の行き交いが激しくなってくる。この近くに小学校や保育園があるため、子どもを乗せた自転車が危なっかしく行き交う。私もそんな親子に混じって自転車を走らせた思い出がある。
 駅に近いからなのか、居酒屋、ラーメン屋が何軒かある。駅の西口にある少しこじんまりとしたラーメン屋へは夜遅くに帰った時に寄ったものだ。何か嬉しいことがあった時、バイト代が入った日、自分へのささやかなご褒美としてつけ麺を食べた。店の売りは豚骨ラーメンだったが、私はつけ麺が好きだった。
 そういえば、つけ麺以外は食べたことないな。もう、そのラーメン屋にも行くことはないのか。何名かの店員がいたことは知っているが、誰が店長かは分からないままだ。そしてその人がどんな顔をしてるのかなんて思い出せない。でも、つけ麺は美味しかった。
 自宅から歩いて20分。やっと最寄り駅に着いた。この街に住み始めた頃は30分掛かっていたから慣れたものだな。友達からは「なんでそんな遠い物件を選んだのか」とよく言われた。
 この駅もあと数回しか使わない。今ではスマートフォンに頼らなくても何時にどこ行きの急行が来るなど大体のことが分かる。どの車両に乗れば乗り換えがスムーズなのかさえ身体が覚えている。発車ベルもこの先聴くことも無いだろう。
 私は駅の中を通り、逆出口へ抜けた。目的地のショッピングモールは目の前だ。
 午後3時になっていただろうか、ショッピングモール内では制服姿の高校生や子連れの親をよく見かける。
 このショッピングモール内では映画館やレストラン、人気のファストフード店があり、たくさんの年齢層に向けた店舗がある。高校生やその親子達にとって、このショッピングモールは地元に根付いた生活の一部のようなものだろう。学校帰りに友達と遊ぶ場所、子どもの洋服を買うために休日に来る場所、それぞれが目的は違えど、明日も明後日もこのショッピングモールに来るだろう。私はもうこれで最後だ。
 ご飯処は3階にある。たくさんの店があるからその時の気分で店は選ぼう。今のところインドカレーが食べたいな。
 もうここにも来なくなると考えると寂しく思った。辺りを見回しながら歩いているとシャッターの降りた店舗が目についた。シャッターに貼られているポスターには、「スターバックスコーヒー!来月下旬に新規オープンします!」と大きく書かれていた。そうか、遂にこのショッピングモールにスタバが入るのか。良いな。もっと早くスタバを開いてくれていたら何度も足を運んだだろうな。新しい街にスタバはあるのかな。確認していなかったな。また高校生あたりが増えることだろう。
 私は結局インドカレーを食べた。「ナンのおかわり自由です」に欲を出してしまい、お腹いっぱいナンを食べた。
 さて、次はどこへ行こう。映画でも観ようか。

 映画館は別の日に比べると空いていた。何か適当に映画を観ようかと上映中の作品一覧を見た。私は見つけてしまった。
 私の大好きな韓流女優が出演する映画だ。あまり雑誌やCMで映画の告知を見かけたことが無かったから、突然の発見に驚いた。上映する時間帯も都合が良い。どんな作品かはよく調べていないがチケットを購入した。
 私以外の客はあまり見受けられなかった。だからど真ん中の席を選べたし、好きな女優を好きな角度で観ることができる。
 上映まであと少し時間があった。
 この映画を観終える頃には外は藍色の空になっているだろう。夜がやって来る。私にとってこの街で経験する最後の夜。
 館内の照明が薄暗いせいか、気持ちも落ち着き、これまでのことを振り返った。

 私が地元から出てきて1番初めに住んだ部屋。
 正直、駅からは20分もかかって不便で、寝坊しないか不安だった。
 四畳半の狭さで私自身を売れない芸人かと思ったこともある。家具を置いたら余計に狭くなるし、友達は3人も呼べない。
 風呂とトイレは別が理想だったけど、ユニットバスだった。身体を綺麗にする部屋にトイレがあるなんて考えられなかったけど、少しずつ慣れていった。湯船を溜められないのは残念だったけど、シャワーも悪くない。
 部屋の外にだって思い出は沢山ある。東京なのに意外と静かなんだ。車のエンジン音さえ聞こえない。近所の公園にたむろするヤンチャな人達もいない。夜道も安心して歩いていられる。
 もしかしたら、近所にはお洒落なカフェがあったかもしれない。美味しい焼肉屋があったかもしれない。駅まで行かなくてもレンタルビデオ店が近所にあったかもしれない。コンビニだってもっと近くにあったかもしれない。もっと早く駅に行ける近道があったかもしれない。
 私は4年も住んでいて、この街をそこまで知らない。もう少し、あともう少しだけこの街を知れたならもっと好きになることができたのかな。
 明日にはこの街ともお別れだけど、「大好き!」と声に出して言えるほどではないけれど、思い出はあってもわざわざ来るような店はないけれど、住んでみて良かった。
 私が何かのドキュメンタリー番組で密着された時にまた来よう。そしてその時に大好きな街だと声に出そう。

 館内がさらに暗くなった。上映の合図だ。



 映画の内容は、正直あまり覚えていない。あの女優がやはり綺麗だったことくらいしか覚えていない。

 私が部屋に帰る頃にはすっかり暗くなっていた。
 私は今日来た道を改めて歩き直し、少し遠回りして帰った。



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