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繋がって行くインスピレーション


誰かの作品が、また誰かの作品作りに繋がって行く

インスピレーションの連鎖

よくよく耳を澄まして感じてみれば、作品から作品へ新しい芽が生まれてどこまでも繋がって行く



ゲルニカをどう観るのか?


こうして絵や作品作りに真正面から向き合う事なく
ただ、絵を描いていた頃には気付かなかったこと

それが、本物の巨匠と言われる人々の作品の素晴らしさ

東山魁夷の作品は、パッと見た時の美しさなら過去の私自身も感じることが出来ましたが
それを表現する事とはどう言うことなのか?と言うことには

絵や自分自身とちゃんと向き合うまでは感じることが出来ませんでした

東山魁夷の作品ですら、流し目で見ていたのだから
ピカソのゲルニカなんて、『意味が分からない』とそんな風に片付けていたこと

今なら分かる事があります


ゲルニカの素晴らしさ
それは、戦争と言うテーマに牡牛や戦争とはまるで関係のないモチーフを用いて

それでいて戦争と言うことに対してのメッセージ性や観た人が感じ取れる何かを表現すると言うことがどう言うことなのか

そこにこそ、ゲルニカの素晴らしさがあるのだと私は感じました




ピカソのような発想と表現はそう簡単には出来ないでしょう


私自身も戦争と言うテーマで過去に作品を作ったことがありますが
私の表現は、戦火の中の祖父

体が小さく戦争とは無縁の性質だった祖父の言葉を元に描いた物です

きっと私の中の1番身近な戦争の印象とは祖父の話の中の遠い空を超えた先の祖父の表情だったのでしょう

ピカソのような宇宙のように広く自由な視点には到底及びません





私がゲルニカの素晴らしさを感じられる視点になったのには
ある戦争映画を観たから

「Fury」「この世界の片隅から」「プライベート・ライアン」
この3つの作品はどれも、戦争をテーマに作られていますが
視点はまるで違います

「fury」と「この世界の片隅から」には特にその視点の向け方には驚かされました
それはゲルニカと同じ様に

何かに囚われず
自分自身の個性と言う独自性を元に、誰にも出来ないであろう発想を
自分の感じている物に素直になり表現できると言うこと

それが、それを見る人の新たな気づきになるのだと
私は、ゲルニカから学んだのです


共鳴は自分らしさの一部


誰もが同じ作品を好きだとは思わない様に
好きな色が違うように
好きなタッチが違う様に

そして、それぞれ好きな画家が違うように

きっと私が東山魁夷の作品が好きだと言うことは、私自身の好みであり
私の中の感性との共鳴だと思っています

だから、東山魁夷の作品が好きだと思えると言うことは
私の作品作りにもこの先通じて行くものがあるのではないか?と思ったのです



それは、東山魁夷の作品からもらった私への贈り物であり
気づきであり
私のこれから先の一部と言うカケラ


きっと、この先
私の材料の一部になって行く
そんな気がしています


繋いでくれたことへの感謝


最近、「私の作品からインスピレーションを得て作品作りをしました」と言うお声を何度かいただく様になり

私の作品が、また新たな作品へと繋がって行くと言うことをとても嬉しく感じています

繋がっているんだな…
繋がって行くんだな…としみじみ感じながら

作品を作っていて、良かったと改めて思わせてもらえることが増えたような気がします

最近、コメントから声を掛けてくださった
LINEスタンプ作りをされている はるじろうさん


私の記事を読んでくださり
そこから得たインスピレーションで新たな作品を早速作られたそうです

仕事が早くてその行動力に驚くと同時に、とても感銘を受けました

▼ 私の記事から得たインスピレーションを早速形にして記事にしてくださいました

はるじろうさん

本当にありがとうございました
同じ絵描き同士、これからも良い作品を作っていきましょう

完成を楽しみに待たせて頂きますね


繋がり続けるインスピレーション


誰かの作品から、卵を取り出し
自分の形に整え新たな作品を作る

作品から作品へ、インスピレーションの連鎖

これはきっと作品作りだけではない気がしています

ここからは小話ですが……

風呂場にゲジゲジが現れた時
友人の風呂場に現れた特殊なナメクジの退治の仕方に救われ
ゲジゲジポッキーを食べるYouTuberのおろちんゆーにも救われました

おかしな話かもしれませんが、そんな目に見えないインスピレーションは繋がっています

いくつ見つけられるだろう?
インスピレーションの連鎖




▼       私の視点を変えてくれた映画




akaiki×shiroimi


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