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忘れられないツイッターアカウントたち

忘れられないツイッターアカウントがあります。

それらの“中の人”はおそらくすべて故人であり、だからもう新しい投稿がされることはありません。それでも、辛いときや苦しいとき、その人のことばに触れたくてついついプロフィールを覗きにいってしまう、そんなアカウントたちです。

この記事では私にとって大切な、そんな忘れがたいアカウントのいくつかを紹介します。



ALSのアライさん

ALSは全身の筋肉が失われていく難病です。治療法はなく、人工呼吸器をつけない場合の平均余命は4年ほどだと言われています。

はじめに紹介するアカウント「ALSのアライさん」はその名の通り、ALSに罹患した27歳のアカ主さまの壮絶な半生の記録です。

生きたいと心から願う人が「死ぬことによってでしか逃れる術のない苦しみ」に直面したときに抱く葛藤が、ここには綴られています。


アニメキャラクター「アライさん」の口調を借りて、アカ主さまはこれまでの人生を振り返って行きます。
クラスになじめず中学校を不登校になったこと。無二の親友を交通事故で喪ったこと。高卒認定資格を取得した矢先にお父様が倒れ、家計を支えるために大学進学を諦めたこと。「この世の地獄」と形容したくなるほどの介護生活を送ったこと。お父様の臨終に立ち会うことができなくて、それをずっと後悔して生きていること。──語られる苦労はいずれも非当事者の想像を絶するものです。次々に出来する苦難のさなか、アカ主さまは幾度も自殺を考えたといいます。


彼が身体に違和感を覚えたのはそんな困難をようやく乗り越えた折、趣味の絵を介して知り合った女性と付き合いはじめ、いよいよ自分の人生を歩みはじめた矢先のことでした。

箸をうまく持てなくなり、階段でもしばしば躓くようになった彼は、ある日病院で精密検査を受け、そこで自身がALSに罹患した疑いが強いことを告げられます。

その後は恋人からも「子どもができないなら要らない」と別れを告げられ、彼は進行する病状とひとり闘いながら、複雑にゆれ動く思いをツイートに綴っていきます。

頼れる親族もなく病気によって恋人に捨てられ友達もいないので将来一人で死ぬ事が確定してるのがツラくてたまらなくて涙が出てくるのだ。何のためママ生まれて何のために生きてるのかわからんのだ。さっさと死ぬのだ。

2020.05.17

なんで二十数年しかまだ生きてないのに死ななきゃならないんだろうのだ…生きてればもっとやりたいことあったのにな。のだ

2020.07.15

アライさんはどうしようもないクズ人間だけど父親の為に介護して、元フェネ(恋人のこと、引用者注)の為にボコボコ殴られながら仕事して、それなりに頑張ってきたと思うのだ。行動で示したはずの愛情が相手から返ってくる事は無かったけど、それだけは認めてほしかったのだ。一言でいいから「頑張ったね」って言ってほしかった

2020.08.16

絵描けなくなるのツライのだ〜〜顔だけは最後のほうまで動かせるっぽいので口にペンくわえて絵描く練習してるのだ。ペンの消しゴム機能の部分が唾液まみれになってきったねぇのだ。ラップ巻くのだ

2020.05.27

時間の経過とともに病気の影は濃くなっていきました。
やがてアカ主さまは息苦しさで2時間以上眠ることができなくなり、外出しても足の痛みのために10分で座り込んでしまうようになります。ペンを握る力も衰えはじめ、生きる支えであった絵を描くことすら困難になっていきました。
進行する病状を報告するツイートは、いずれも読んでいてとても辛くなるものです。

だんだん手が動かなくなってきて歩くにも足が痛くて何度も躓いては転んで、呼吸はずっと苦しくて、もう生きてるのがつらいのだ。辛くてたまらなくてボロボロと涙が出てくるのだ。助けてほしいのだ生きていたいのだ一人で死にたくないのだ

2020.03.23

左腕も両足も切り落としてもらってかまわないからせめて右腕だけは許してほしいのだ。

2020.08.16


ツイートには家族を持つことへの憧れも記されています。
あるとき、彼はお姉さん夫婦の家で穏やか時間を過ごし、同時にとても辛くなります。
「姉も旦那さんも優しくて赤ちゃんも可愛いかったし、猫とも遊べてとても楽しい時間だったのだ。でも同時にめちゃくちゃ辛くなったのだ。そこには自分には一生掴めない幸せの形があったのだ。」(2020.07.28)

ふつうの人がふつうに享受している「幸せの形」──高校や大学に進学し、正社員となり、結婚をし、子供を育て、やがては老年を迎えて、最期は家族に見守られながら死んでいくこと。そんなふつうの人生を送ることが、いったいどうして自分にはできないのか。“人生のレール”を外れたことがない者には想像の及ばない沈痛な呻きだと思います。

まともに学校行ってまともに社会人になってまともに結婚してっていうまともな人生送ってみたかったなぁ〜のだ。好きな人と同じ家で暮らすって経験を一度はしてみたかったのだ。もう無理だけどのだ

2020.07.14

生きてられれば結婚もしたかったし犬も飼いたかったのだ。可愛いからコーギーかハスキーがいいのだ。可愛い子供もいて、家族でUSJとか行きたかったなぁのだ。昔お母さんとも行ったんだよとか子供に言って死ぬときも家族に看取ってもらってそういう人生がよかった

2020.07.28

やがてアカ主様は死を決意され、実際に幾度も自殺を図ります。
ひとり介護施設で天井を見つめながら死を待つ日々は耐えられない。なにより介護生活のつらさを知っているからこそ、新婚の姉には苦労をかけられない──そんな痛切な心情がツイートには記されています。

とりわけツイートが途絶える直近の投稿は読む者の心を掻き乱さずにはおかないものです。不安を分かち持ってくれる友人や恋人もなく、目前に迫る死を意識しながら孤独に過ごす日々は、いったいどれほど心細く恐ろしいものだったでしょうか。病魔のために人生の選択肢のほとんどを20代半ばで諦めざるを得ない悔しさは、いったいどれほど烈しいものだったでしょうか。

しかしそれでいて、彼はそんな窮境にありながら、たびたび周囲の方への感謝の気持ちをツイートに記し、また時にユーモアを交えて己の状況を語ったり、同じく困難を抱えるフォロワーたちに優しく寄り添い、励ましの言葉をかけたりします。
そんな彼の文章を読むたびに、私はどれほど励まされただろうと思います。

ALSになって唯一良かったと思うことは優しいアライさん達や同じよう難病の人達と繋がれてアドバイスをくれたり元気づけてもらえたことなのだ。本当に励みになってるのだ。いつもありがとうなのだ!

2020.06.03


kotaさん

kotaさんは23歳のバイク乗りの男の子です。

彼は発達障害からくる生きづらさに思い悩んだ末に自死を決意し、その後はバイクで旅をしながら日本中の絶景を見てまわって、旅行の最終日にダムへ身を投げて亡くなりました。このアカウントは彼の旅行記録です。


23歳の子が自死を決意されるまでには、きっとたくさんの苦しみがあったのだと思います。
職場や学校で周囲になじめない辛さ、他人が難なくこなしている作業が自分にはできない無力感、自分の行動が意図せず世間の規矩から外れてしまうもどかしさは、いずれも経験したことがない者にはわからないものです。
(最後のツイートには診断書の写真とともに「もう苦しみたく無いし悩みたくも無い」という言葉が添えられています。)

それでも、彼は決してつらい過去のことは書きません。
遺してくれた旅行記録はすべて、旅の終わりに死が控えた悲壮感とはおよそ無縁の晴れやかなものです。


走行距離21万kmにおよぶ長い旅のあいだ、コロナ感染や療養生活、バイクの故障、金欠といったトラブルを乗り越えながら、彼は道中で出会ったライダーたちと心を通わせ合い、ときには見知らぬドライバーを助け、ときにはフォロワーの家に泊まらせてもらって、自由に心の赴くままに旅行を続けていきます。

行きたい場所に行き、見たいものを見ること。食べたいものを食べること。雄大な自然のなかに身を置き、おおきく呼吸をすること。過去のしがらみを忘れ、いまこの瞬間を精一杯たのしむこと。自分は自由だと感じること──そんな旅の醍醐味を心から満喫するアカ主さまの様子が、ツイートからはしっかり伝わってきます。


のびやかな文章にくわえ、道中で撮影された写真もとても美しいものです。
北海道から沖縄まで、遠くの島々から3000m級の山々まで、日本の各地で広角レンズに収められた壮大な風景の写真を見ていると、こちらまで彼と一緒にバイクに乗り風を切っているような気持ちにさせられます。


障害や持病ゆえ普通の人と同じように生きることが叶わないのであれば、いっそのこと自分の寿命を20年なら20年、25年なら25年とあらかじめ定めて、お金のことや他人の忠告はいっさい勘定に入れずに、残された日々を目いっぱい自分の納得のいくものにしようと努める──そんな彼の“吹っ切れた”生き方には、希死念慮と日々たたかう人たちの苦しみを和らげる力があるように思います。

「まだ若いのに」「自殺をするなんて」云々、事情を知らない人たちはあれこれ言うのかもしれませんが、そんなのはどうでもいいことです。
人生において重要なのは寿命の長さでも、病院で“自然死”を迎えることでもありません。一瞬一瞬を満足しながら生きているかどうか、死に際に「充分に自分の人生を生き切った」と思えるかどうかです。
そんな当たり前のことを、私は彼のツイートから教わりました。



空さん

アカ主様が練炭自殺を遂げるまでの記録です。


アカ主さまは複雑な家庭環境と心の病、恋人との離別に苦しまれていたようです。
ツイートからは彼女が経験してきた様々な痛み──DVをする父親から逃れられない辛さ、母親がいなくなってしまった寂しさ、自分が死ぬことで兄妹たちに迷惑をかけてしまう申し訳なさ、生死の淵をさまよいながらも死に切れないもどかしさが、たいへんな痛切さとともに伝わってきます。

苦しくて母親に電話してみてもこの電話番号はもう使われていませんってアナウンスが流れるだけ、わかってたよ

2023.12.30

父親から逃げて警察署に駆け込んで、その数週間後には携帯が解約されて、あっという間に1年がすぎて、それでも連絡はなくて、ああ捨てられたんだって思うのにそんなに時間はかからなかったよ
でももう仕方なかったって思えるようになったよ、きっと今のわたしみたいに追い詰められてたんだよね、助けになれなくてごめんなさい

2023.12.30

泣きながら笑って、大丈夫大丈夫大丈夫になるよって自分に言い聞かせながら大量に睡眠薬を飲んで、首に縄をかけたときの気持ちが、屋上の柵を超えて風を強く感じたときの気持ちが、それがどんな絶望か、

2024.01.22

大嫌いな父親にはなにもしてほしくないけどそれを拒んだら大事な兄妹に迷惑かけることになる、全てを賄えるほどお金を残してもいけない、でもこれ以上生きていくこともできない、情けない、

2024.03.05

人の死は等しく悲しいもので、どれだけ悲しまないで欲しいと願って遺書に綴ったところで自死なんて手段を行使したら誰かの心な影をさすのは避けられないんだろうな、それだけが心残りだ

2024.02.26

しんだらおじいちゃんに会えるから、しんだら行方の分からないママが会いに帰って来てくれるかもしれないから、しんだらわたしの絶望を理解してもらえるかもしれないと思うから、だからしにたい

2024.01.22

生活保護うけて、病院に通って、訪問看護の人に来てもらって、それで?そのあとは?そこまでしてもらって生きる価値がわたしにあるの?そこまでしてもらっても生きたいと思えないのに?

2024.03.03

思い詰めた末に、アカ主さまは何度も自殺を図ります。
(一度は練炭自殺を図り車内で昏睡しているところを警察に発見され、ICUでの治療の末に奇跡的な生還を果たされています。)

その一方、そんな過酷な日々にあって、アカ主さまはときおり外の世界に目を向けられ、その景色に心を動かされたことも綴っています。あるときは桜を見てその美しさに感動し、またあるときは定期券売り場の行列を見て春がやって来たのだと思います。生死の境にありながら日々のささやかな安らぎを綴ってくれた文章は、切なさとともにどこか温かさを感じさせるものです。

久しぶりに外の景色に目を向けたら木に緑が生い茂って花が咲いて街が春に色めいていた
こういうことに感動できる心が残っていてよかった

2024.04.17

桜を見れる季節まで生きてるなんて思わなかったな

2024.04.07

学生のときは出会いと別れが苦手で桜の季節があんまり好きじゃなかったせいで桜も好きじゃなかったんだけど、大人になったいま純粋にああ綺麗だなって見上げることができるようになったよ

2024.02.28


アカ主さまの投稿はそのほとんどが「生きる苦しみ」と「自死」に関するものです。
ただ、そんな彼女が一度だけ(1000以上のツイートの中で本当に一度だけ)「生きてみることにした」とツイートをされていて、その際にお書きになっていた文章が私には強く印象に残ってます。

とりあえず生きてみることにしました!
(中略)
未遂で救急搬送までされたけど生きようとしてる身からすると、生きるのも死ぬのもあなたが自分で選んだなら間違いじゃないよ、
自分の人生は自分で責任とるしかないんだから他人の言葉なんて気にしないでね、

2024.05.12


生きるのも、死ぬのも、私が自分で選んだのなら間違いではない。
難解な内容が書かれているわけでも、特殊なレトリックが使われているわけでもないのに、力強く心に響く言葉だと思います。
この3日後、彼女は「どこまでいってもわたしの生きたいはちっぽけで不安定なものだった」と書き記して亡くなってしまうのですが、彼女が遺してくれたこの力強い言葉──「生きること」と「死ぬこと」を一度でもしっかりと引き受けた人だけが言えるこの言葉は、以来わたしを支え続けてくれています。





 来世や魂というものは存在しません。死によってその人とその人の世界は消滅します。それでも、その人が遺してくれた言葉はその人の死後もこの世界にとどまり(たとえ誰に向けられるでもなくSNSに壁打ちされたものであっても)いつか誰かのもとへと届いて、その人の人生を変えることがあります。

 Ranichisatoさんは弦楽器をつくる職人さんのようです。こちらの方は国立音楽院に在学中、制作するバイオリンの1基を「ALSのアライさん」に捧げることに決め、完成した作品に「ALSARAI」と名前をつけ、そのレンタル料の全額をALS治療研究費として「せりか基金」に寄付されているそうです。アライさんがその思いをツイートに綴ることがなかったらこの世界に響かなかった音色というものがあります。
(いつか吹奏楽部の友人の手を借りてバイオリンオフ会をやってみたいのですが…)

 kotaさんのツイートへの引用RTをみてみると、どうやら彼に触発され引きこもりを脱出してライダーになった方もいるようです。そんな彼ら彼女らがバイクで向かった旅先で見知らぬ誰かと出会い、友人や恋人になったりする。あるいは新しい生き方を発見したり、人生を変えてしまうほど美しい景色に出会ったりする。kotaさんが綴ってくれた言葉がなければ起こり得なかった奇跡です。

 空さんとは(私の記憶違いでなければおそらく)ずっと前にDMでやり取りをしたことがあります。彼女から頂いた言葉を心の中でくりかえし反芻し、自分の気弱な心を叱咤していた時期が私にはありました。

 死によってその人とその人の世界は消滅しますが、誰かがその人のことを覚えている限りその人の言葉や痕跡はこの世界に留まって、誰かの生きる支えになったり、新しく何かを生み出したりします。死者たちが起こした/起こし続けているそんな無数の奇跡のさざめきの中で、私たちは日々生きているのだと思いました。


付記(ながい言い訳)

当たり前のことですが、赤の他人が誰かの人生を(聞き取りやご本人による原稿チェックといった手続きを踏むことなく)要約・紹介することには慎重になるべきです。それでもあえてこの記事を書いた理由は、休眠アカウントがいつふたたび一斉削除されてしまうかわからない状況にあって、さきにツイッター(Xとは書きません)を去ってしまった3人の言葉に尽くせぬ苦労の連続と、それらを生き抜く過程で遺してくれた文章や写真を、できるだけ多くの方に知ってほしいと思ったからです。

(より詳しく書けば、理由は主に三つです。
一つはいま自分がいる環境に関係があります。私はことし大学に入り直しました。経済的・家庭的に比較的恵まれた方たちがあつまる大学ゆえか、(私自身のことを棚に上げていえば)自分が恵まれている事実にあまりにも無自覚な方に出会うことも多いです。
「トー横界隈」やホームレスの方をなにか汚いもののようにいう人。夜職や現場仕事で生計を立てる方を小馬鹿にする人。予備校に通えるのも自分専用の勉強部屋があるのも当たり前だと信じて疑わない人。授業料値上げに抗議してキャンパスにテントを張る子たちを冷嘲する馬鹿な教授や学生──いずれも私が東大でじっさいに見た方々です。そんな人たちを見るたびに、彼ら彼女らをとりまく環境とは対照的な境遇、人生の選択肢の多くを初めから断念せざるを得ない過酷な境遇で生きる同世代の知人たちのことが、そして記事でとりあげた3人の存在が思い起こされて、私はこの記事を書きたくなりました。

理由の2点目は私自身に関することです。
Twitterには書けないことですが、私も心身に病気を抱えています。外出中に症状がひどくなると、建物の壁や花壇に背をあずけ、すべて永遠じゃないから大丈夫だと自分に言い聞かせつつ苦しさが去るのを待ちます。病棟で死ぬのは嫌なので、病状がひどくなれば自死すると決めています。しぜん、先に自死した同世代の方たちの言葉に触れ、あれこれ考えを巡らせるようになりました。私と同じような心境で生きている方々はたくさんいるでしょうから、そうした方々へ、とりわけ印象に残ったアカウントのいくつかを紹介したいと考えました。

理由の3点目は十数年来の友人が亡くなったことにあります。
その人のことを思って悲しんでいるとき、「彼のことを覚えているひとが一人もいなくなったら、彼はこの世界からいなかったことになるのだ」という思いにとらわれました。(彼は家族との関係が希薄な人でした。)
いなくなった人を忘れないのは、その人の記憶や痕跡をこの世に留めておくことは、とても大事なことなのだと腑に落ちました。自分はちゃんと覚えてるから大丈夫だよと声を掛けたくなりました。
(無論このことと、見知らぬ方の半生を私が記事にすることとは話が違いますが、しかしどのようなものであれ、故人が遺してくれた言葉を知るよすがは無いよりはある方が良いに違いないのです。)


アカ主さまの過去について記述する際は(むろん全ツイートを複数回熟読のうえ)ツイートから明確に読み取れる事実関係のみを抽出するよう心がけ、また可能な限りアカ主さまの言葉遣いをそのまま拝借するよう努めました。



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