あの時が最後だったんだな。
子育ては、できるようになった瞬間、二度と戻らない時を知る、ことがある。
今日は、3歳の娘が「ブランコを一人でこいでのる」ことができた。
今までは、手で背中を押して乗っていたのだけれど、
自分なりに勢いをつけながら乗って、地面を足で蹴って、
一生懸命曲げて伸ばして。
そしたら、ビュンビュンスピードがでて、乗れちゃった。
わー、自分でできるようになったね!と
一緒に喜ぶ母。本当にうれしかったのだ。
でも、その姿を見ながら、「ああ、ブランコ押すことが、この前で最後だったんだなあ」「卒業しちゃったなあ」としみじみ思った。もう、自分でできる喜びを知った娘は、「押して!」とは言わないだろうな。
子育てって、気づいたらいつのまにか卒業してしまっていることがある。
あ、あの時が最後だったんだ、と
なにかができたときに、
初めて「最後の時」がもう過ぎてしまっていることに気づく。
あ、あの時がハイハイしていた最後だった。
あ、あの時がおっぱいのんだ最後だった。(←2019年4月引っ越し前夜)
あ、あの時がエルゴでだっこした最後だった。(←2020年1月横浜)
あ、あの時が、、、
今は、トイレトレーニング中。
おしっこは、トイレでできるようになったけど、うんちはまだおむつで。
私は娘の、おむつでうんちをするときの顔が大好き。
娘は「みないでー!」というけど、かわいくて携帯にはたくさん写真が残っている。
その娘が、2月23日の天皇誕生日に、外出先でなんと、大人のトイレで初めてうんちをした。見ないで!と言いながら個室に閉じこもった娘。「ぽとっ!」と音がして「わ!うんち出たね!」と喜び、写真と動画まで撮った。
まだ、トイレでうんちはそれっきりだけれど、
ああ、いつか「あの時がおむつでうんちをした最後の日だったんだ」と
しみじみさみしく思うときが来るんだろうなとおもうと、なんともさみしい。
子育てって、成長がうれしいけど、その成長がなんとも切なく寂しい。
もっとゆっくり大きくなってよぉと、その速さに、心が追い付かないことがある。
子どもは親のそんな気持ちを知らずに、常に全力で成長し続ける。
元気で成長してほしい、でも今が止まればいいのに、、と親の私の気持ちはなんともわがまま。
そんな親の気持ちを知ったのか、娘が「大きくなってもずっと一緒にいてくれる?」と聞くことがある。
心がきゅーっとしてしまう。