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井の中からひと言

都会は情報量が多いのか

大学進学と同時に東京に住み始めた。クラスの自己紹介で出身地の話になると、関西出身の人が何人かいて、彼らは「なぜ京大にしなかったのか」としばしば訊かれ、こう答えていた。「東京のほうが情報量が多そうだから」と。どこにいてもスマホ一つでインターネットの海に漂い、大量の情報にアクセスできる今、その台詞は時代とミスマッチに聞こえた。

しかしながら、私はその言葉を最近理解しつつある気がする。例えば福岡に旅行に行ったとき、「情報量の少ないところに行きたい」と街中ではなく島へと足が向かっていた。

島から海を眺める

この景色が真に情報量が少ないとは思わない。海の中や島々には無数の生物がいて、空を渡る風や海を混ぜる波は一定ではなく計算しようとすれば複雑な式ができるだろう。コンテナ船にはこれから様々な場所に運ばれていく大量の荷物が積載されている。

それでも脳はこれを都会より情報量が少ないと捉えてどこか安心している。やはり結局は人なのかなと思う。いかに人に支えられて生きていようとも、都会の狭い空間に人間の活動の気配が濃く臭っている景色には、やっぱり疲れてしまうのだ。

田舎はのんびりしているのか

大学時代のもう一つのエピソードがある。学部4年生になって嫌々就活をしていたときのこと。大学の進路相談室的なところで「Uターン就職したい。少なくとも東京は出たい」という話をしたときに、なぜそう考えるのかをしつこく訊かれ、「なんでそんなに田舎がいいの?のほほんとしたいの?」というような言い方をされた。コロナ禍での孤独な生活および就活に疲弊していた私にはこの言葉がかなり堪えて、明快に理由を説明できなければ都会に住みたくないという希望すら真っ当に受け取ってもらえないのか、と悲しくなった。

というか、田舎イコールのんびりまったりしている的な認識は私には全くしっくりこない。むしろ、例えば電車で移動しようと思ったら本数が少ないから時刻表をちゃんと見てそれに確実に乗れるように早めに行動しなければならないし、スーパーは遅くまで営業していないからさっさと買い物しておかなければならない。

それに、田舎に住もうと仕事で何かしらの悩みを抱えるのは一緒だし、田舎には都会にはない近所の人間関係の煩わしさがあったりする。田舎のほうがストレスが少ないとは言えない。

だから今の私の解はこうだ。都会は情報量が多いのか→YES、人間の活動に関して言えばそう。田舎はのんびりしているか→NO、生活すれば暮らしがあり現実がある。

帰省シーズンだから、思っていることをつらつらと書いてみた。きっとこれからも自分に問い続けるだろうから、もし変わってきたらまた書こうと思う。

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