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桂二葉独演会の記録

2025年1月27日は桂二葉独演会に行った。今年最初の落語会参加である。

開口一番は三笑亭夢ひろの寿限無。そういえば大人になってから落語の寿限無をフルで聴いたのは初めてかもしれない。子どもに目出度い名前をつけたくてお坊さんに候補を聞きに行ったら選べなくなって全部繋げた名前にしたら日常生活に困るようになるというシンプルなストーリーだが、改めて聴くと面白かった。寿限無の名前のパーツを改めて一つ一つ解説してもらうと可笑しくもなるほどと思いながら聴けたし、名前を呼ぶという日常生活に頻発する行為を、両親や友達が「またあの長い名前を言うのか…」と思ってため息をつきながらも早口でこなすさまは滑稽だった。

二葉さんの一席目はしじみ売り。途中でこれ聴いたことあるなあと思っていたら志の輔らくごでこの演目があったのだった。雪の舞う寒い日にしじみを売り歩く幼い男児がある家の戸を叩いてしじみを買ってもらえないかと聞くと断られるが、奥から出てきた男はしじみを全て買うと言い、しじみを川に戻すよう指示する。男は食べ物を与えると、痩せて手指はひび割れている男児に身の上話をさせる。

二葉さんの子どもの演技は本当に見応えがある。寒さに身をすくめると身体が一回り小さくなったように見え、まんまるになった目はくりくりきょろきょろしていて幼げ。落語家なんだから当然かもしれないけど瞬時に役柄を切り替えて表現するさまがすごくて、練りに練られた技だと感じる。子どもだけど精神的に大人にならざるを得ない境遇の、遠慮を知っているけど無邪気さも残っているような健気な人物像が、沁みるような寒さとともに伝わってきた。

二席目はらくだ。二葉さんのグッズにらくだのイラストの靴下があるし、始まった瞬間客席のあちこちから歓声を圧し殺すような声が漏れていたので、らくだが聴けるのは喜ぶべきことかもしれないと思いながら聴いた。らくだという人物が死に、その兄貴分が長屋に来て葬儀を準備しようとしていたところ、そこに屑屋が通りかかる。らくだは屑屋に金にならないものを売りつけようとしたり、つけを払わないなど迷惑な人物で、長屋中に嫌われていた。兄貴分は屑屋をほとんど恫喝するような形で寺や長屋の人々に無理に協力させ、らくだを葬る準備をしていく。

一席目も大阪の言葉で話していたけど、二席目はより濃度が濃くなっていて方言という点でも聞き応えがあった。極端な物言いをして、かつ有言実行なおかげでらくだの兄貴分は無理が通って道理ひっこむを体現していく。どんどんうんざりしていく屑屋であるが、後半で兄貴分が酒を飲ませた途端人が変わる。酔った屑屋は今度はらくだの兄貴分を言い負かすようになるという立場の逆転が衝撃的で、面白くもあり恐ろしくもあった。一席目で子どもを演じたときとは正反対に三角につりあがった目をしてにやけながら酔っぱらっていくのがとても迫力があって、変幻自在な表情に改めて驚かされた。

らくだは借金地獄の中でのうのうと生きていたから、百鬼園先生みたいだなと思った。そういう誰からも嫌われるような迷惑千万な人物を可笑しく描写できるのは、その人の死後だからあるいは百閒だからなのだろう。らくだの死を耳にした登場人物が一様に喜ぶ様子は死というものに暗さを寄せ付けない。嬉しさを抑えられない様子が面白く演じられているけど、実際に心底嬉しくて解放された心持ちになっているのだろうなと思った。考えずに聴いてもよいのだと思うけど、少し考えさせられる演目だった。

二葉さんはまくらも面白くしようというよりは本音で話してくれている感じでそれが結果的に面白くなっていて、世間話を聞かせてくれている感じが心地良い。独演会に来ているのだから味方でしょとこちらに対して安心してくれているような雰囲気が、客側をも安心させているという気がする。そして二つの演目についても、子どもと酔っ払いという得意ジャンルを全力で演じ切ってくれた。独演会というホームで自分らしさを余すところなく出して、みんなをお腹いっぱいにして帰してくれたところがとても素敵だった。

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