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土門蘭『死ぬまで生きる日記』を2周する
半年ほど前に書店でたまたま見つけて購入し、一気読みしてからこれまで一度も開かなかった。1周目、読了後に「なんだかなぁ」とスッキリはしない気持ちを抱えたのは覚えている。私はどちらかと言うとこの本を好きではない。人に勧めない。
けれども私はこの本を読んで、カウンセリングを受けようと決めた。実は明日はもう何度目かのオンラインカウンセリングの日だ。「5回くらいで終わりにしたい」と初回で希望し、終わりを強く意識して始めたのに、もう次が何回目なのか数えられなくなってしまった。カウンセリングの終わりを意識したのも、『死ぬまで生きる日記』の影響だ。
好きではない、けどものすごく影響を受けている。読み返さない間も、ずっと頭のすみっこにある本だった。
今回はじめから読み返そうと思ったのは、やはり明日がカウンセリングだからである。そして私は全然死にたいからである。
もしもこの本が小説という体をとっていたらネタバレになるが、著者の土門蘭さんは「(文章を)書きたい」という欲求が命を繋いでいる。
実際に書くことで生計を立てているし、この本を書き上げることで、カウンセリングを通じて死にたさと向き合った日々を読者に伝えている。
私はどうしたいのだろう。描きたかった気もするし、作りたかった気もする。昔から何もしたくないという気持ちも強いし、透明になりたいと願っている。
土門さんは、最初に医師に「うつ病ですから服薬して治しましょう」と言われた時、思考力や想像力(だったか忘れたがなんにせよ脳の機能)が薬によって抑えられて、過剰に考えることが無くなって楽になるという説明を受けた。薬によって頭がぼんやりしたり、これまで通りの思考ができなくなったら「書けなくなってしまう」と考え、服薬しない選択をした。
私は逆だった。
どうにもならない自分の脳の制御を優先して、別にもう作れなくなってもいいと明確に思った。
最近は少し後悔しているのかもしれない。
卒業制作でハッキリと「美術を卒業する」と宣言した通り、晴れ晴れとした気持ちで筆を折った。これでよかったんだよなと今でも思っている。あの時にできる最善だったはず。
卒業後は元気になることを最優先に生活して、だいぶ元気が出てきたし、そろそろどうやって身を立てて行こうか、と考えた時、未だアーティストって働き方は理想だよなと思い至った。海外で働くチャンスもあるし。元気になっても私はこのヘルジャパンとは相入れない。元気とは言っても、平均よりずっと弱いし病気だしこの国で“普通”にはなれない。それだったら変で逸脱したままでいられる肩書はありがたい。そのままで生きられたら一番良い。
でもでもね、私は何かを作って発表するたびに、猛烈に死にたくなった。そのままで生きたいから作ったはずなのに。また死にたくなったらまずい。というか普段からうっすらと死にたいのに、拍車をかけそうで、また作るのが怖い。
迷っているから、またこの本を開いた。
どうする道があったのか。今できることは。
読み返せばヒントが見つかるかもしれない。
明日、カウンセリングの前に読めるだけ読もうと思う。
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