モズが枯れ木で
一つの訃報が届いた
高校生の頃
一学年上だったT君の奥さんから
T君の遺言で「日本刀を受け取ってほしい」ということだった
彼の愛刀は室町時代の時代物
気持ちは受け取りますが、と断った
T君とは、高校生の頃抜刀術の仲間だった
居合の術を共に修行
今思えば、野球・登山などと明け暮れていた頃だった
彼との思いの強いのは
いつも茨城民謡といわれた「モズが枯れ木で」という歌を
ことあるごとに歌っていた
モズが枯れ木で鳴いている みんな去年と同じだよ
おいらはワラをたたいてる けれども足りねえものがある
綿ひき車はお婆さん 兄(あん)さんの蒔き割る音がねえ
コットン水車もまわってる バッサリ巻き割る音がねえ
兄さんは満州へ行っただよ
鉄砲が涙で光っただ
モズよ寒いと鳴くがよい
兄さんはもっと寒いだろ
この歌は昭和13年ころ東京・板橋第6尋常小学校の教師をやっていた徳富
繁さんの作品ですが、この元詩は昭和10年にサトウハチロウさんの「百舌
よ泣くな」です
兄さは満州に行っただよ
鉄砲が涙に光っただ
百舌よ寒くも泣くで無え
兄さはもっと寒いだぞ
T君はこの歌を歌うときは目に涙をためていた
理由はわからない
話すこともなかったが
後でわかったのは
満州へ出征するおじさんを偲ぶ詩
日本刀は幼い甥への遺産
幼かったT君には満州も出征も何のことやら
成長してから日本刀に添えられた手紙の中に
モズが枯れ木での歌詞が書かれていたのを知り
満州で戦死したおじさんの反戦の心を知って
歌うようになった
歌うたびになぜか涙が溢れた、と
この歌が茨城民謡になったいきさつは知らないが
作者の徳富繁さんが晩年茨城の牛久にすんでいたからだといわれる
この歌は私なりに反戦歌と理解する
散歩などでよくモズを見る
尾っぽ振るのですぐにわかる
モズを見るとT君を思い出す
T君と再会した時は
お互いに居合術を披露し合おうというのが
T君との約束だったが果たせなくなってしまった
散歩でモズを見ると
いつも~鉄砲が涙で光っただ,モズよ寒いと鳴くがよい~
しらず知らずに口ずさむときがある
人と人が殺し合う戦争
世界中のいたるところで起きている
戦争!
戦争は嫌だ
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