2023上半期 個展会期全て終了!御礼の挨拶
有り難いことに続々と誘いを貰って、
来年の予定も埋まってきた。
何かオモロイことやりましょうよ!と人が集まって来る。なんとかしようじゃないかと。
あれは2022年、コロナ禍の真っ只中
夢だったアトリエ建設に取り掛かりはじめ、山奥の集落に単身移り住み。
同時に近所の子供相手に絵画教室の講師になる(「お前にやれんのか」と言うかもしれないが、妙な生真面目さが出てやれている)
何もかもが初手だった。いやん。
さぁやるぞと腕まくりした直後から
滾々と柱に開きまくった穴をパテで埋め、外側の地面の割れたコンクリートも固め直し、無言で壁を白くなるまで拭き取り、雑草刈り、裏山の畑作り、雀蜂の巣と格闘し巨大ムカデに追われ____
なんでやーーー!!!!!
筋肉増えたのか体重が盛られていってしまったが、もうダイエットを気にする暇はない。
食える時に食い、働く。
わしがやらねば誰がやるのだやらんのだ。
憤怒のダブルピース。襲い来る疲れ。
これが若者の終わりというものか。
いじけまくりながらやっていた。
ところが近所に住む方々がポツリポツリと手伝って下さり
気付いたらまた大勢の方に支えられていた。
絵画生徒の規模は手で数える以上になり、自作の手法書を配ったりなど、一秒たりとも休めなかった。クタクタで帰宅したら制作。
ストレートネックになって頭に血が上昇らず頭痛外来に行きブロック注射。
正直、鬱も酷く酒量は増えた時期。
表には出さないボロボロ状態で毎日泣いてた。トチ狂ってた20代最後に。
机で寝たのかどうか記憶も定かじゃなく、ベッドに移動出来たらグッジョブ生活。
そんな時は皆さんからの手紙や芳名録を読み返しては奮起。
わしがやらねば誰もやらんから、わしがやる。これ合言葉にした。倒れてらんねー。
年末年始~2月にかけてはギタリスト牧野由希子さんとコラボし、CDアルバム発売!
ジャケットデザインを手掛け、三ノ宮Chit-chat企画 個展【然るダイバーの眼路】でBGMとして流した。記念LIVEも開催された。
https://youtu.be/VEOYhA7AG9M
牧野さんは関西を中心に活躍するジャズギタリスト。作曲された【拍動】に感動し湧き上がってきた想いの丈を絵にしたところ、偶然コラボのお話となり、この展示に繋がりました。
まだ私の展示などでもCD買えます。めっちゃ良い曲やから1人5枚買って欲しい!
2人で決めたキーワードを元に制作するという一風変わったコラボで私が描いた「明け星-然るダイバーの眼路-」は、朝から夜までに独りの人間が揺蕩うひねもすを表現したもの。
明星に向かって手を伸ばし浮上する深海からの景色、誘灯のように導く水母が最期の一枚で彼の漂流記は完結するという作品を描きました。
牧野さんの曲ありきで物語性をもたせることが出来た展示でした。
ありがたや…。活力です。
3月からは自治会の方々と山でミニ畑を作り
そこに粘菌を放って観察暮らし。飼育する変形体は3個体。レモンイエロー(シロジクキモジの可能性)、オレンジ(おそらくダイダイホネホコリかキラボシカタホコリ)、そしてモジホコリ。
春はあっちゅう間に越えた。
丹さんの企画、みうらじろうギャラリーで開催された3年ぶりの東京展【幻想術】。
4月開催。この機会に私のことを知ってクチコミで来る方も。
活動初期から足を運んでくださる人々もいて心底感動した。元気でいらっしゃったことにである。
多くの方にシェア頂いて驚いたんよ。
画像を御覧のように、皆さん優しい眼差しでじんわりと熱の籠った瞳で作品を見ていたことが印象的。
「赤城さんが展示をしてくれるのが生き甲斐」と言った方もおられ、こちらも目頭が熱くなった。
ああ本当に色々あったよなぁ。長く短い夜だった。夜明けを一緒に迎えられましたねーと手を取り合って。
この性格ゆえ未だに勘違いされてることも多く、逆恨みで悪評を流され「二度と展示出来なくさせてやる!」と、妨害を受けたこともある。
フラッシュバックしては腕を失った兵士みたいに震えて動悸がする。
それでも立ち上がってきた。
時間かけても立つ。
起きる度に気付かされることがあった。
こうやって展示で生き返ってくれる方が居るのなら、その人達だけを真っ直ぐ見て描こう。そう思ったんだよ。
意地悪さん達は強くしてくれてありがとな。
そして6月は通称”実家”乙画廊通算4回目の企画【ほしきままなり】を開催していただく。PR動画は自分で作った。
欲し気侭に。
だけど思い通りにいかなくて現実は病んでいく。それでも皆は前を向いて社会は動いていく。誰かの思うままに、誰かの生き様が噛み合って交差して御数珠のように繋げたいと願った。
ある人が「それって、粘菌みたいね」と言った。
片岡さんとは此処で初個展(2018)の際に出会ったから、5年前から交流してることになる……光陰矢の如しどころかガトリング砲の早さ。
普通は繋がらないような点と点を繋げられて、知識と熱意を信念に更に伸ばされる方。
尊敬を込めて「渡し守」と呼んでおります。
もし父の声を学ばんと欲せば、これ鶏の生むところ、もし母の鳴くを学ばんと欲せば、その父は烏なり。烏を学べば鶏鳴に似、鶏を学べば烏声を作す。烏鶏二つながら兼ね学べば、これ二つともに成らずと。
中国では3年以内に殺されなかった鳥は神格化されていたと云います。彼等は骨になっても殊勝で賢く囀り、福を運ぶと考えました。
乙画廊主とギャグ漫画みたいな会話して、たまに真剣に今後のことを考えて、ここは帰る場所だなぁと感じた。
どんだけ腐りかけても絵を辞めれないし
上手に弾けないギターかき鳴らすしかない
馬鹿にされても良いように初めから馬鹿のふりして、陰気な憂いは何も嵌めてないピアス穴から通してく。
アイラインをキツく引くのはやめた。ほとんどスッピンでも外を歩けるようになった。
心を開いて人前で拒絶せず本音を吐けるようになった。素直になる練習。
この2023も駆け足になりそうやわ。
振り返れば、もう3つ個展を終えた。
同じ展示は二度とないからこそ、振り絞って日々を進む。
9月にまた東京に行くことになった。
ギャルリーフロレゾンの岩本さんに、お声掛けして頂いたのだ。
「うちの画廊から赤城美奈を人に広めたいだけだから、売上は気にしないで。大丈夫、思いっきりやってください」
どうやらロックンロールは終わらない。
まだまだ続くぜ、爆笑しながら転がり落ちよう。
無敵でも完璧でもないままで良い。そういうものを求める時代に、そういう人間になろうとしない為に。
きっつい壁を越えたらまた壁がある。
それでも私は一歩ずつ大切に踏み締めてきた。
硝子を踏んでも、笑顔で前を向いて。
新しい作品を手掛ける毎に、瘡蓋がいつしか鎧になって、一生懸命磨いてきたものが集結する。
それが個展。血骨肉の塊。
奮い立つよな。無重力から出てきて息してる感じ。
何周も見て作品に手を合わせられる方
何回も何回もリピートしてくださる方
友達を連れて、もう一度見に来られる方
一人一人の顔が、行きと帰りで違う晴れ晴れとしたものであることに、改めてやり甲斐を感じた。
本当は対人恐怖症持ちである為、交流は苦手だ。
それでも全員に話し掛けて眼を見詰めて話す。エネルギーを交換する。
不思議なものだなぁ〜心が折れそうになる筈なのに
アートを通せば意図も容易く対峙出来る..。
其れは来場者達との信頼なんやろうね。
今も絵を描くのが大好きな子供のまま。伝えたいことも描いてることも10年ほぼ変わらん。少女からそれは変わらん。背後でいつもこちらを睨み付けてる、口下手で泣き虫で世界に対して激烈に怒り狂ってる少女の私を、絶対に裏切っちゃいけない。その子の味方で、負けるなと内側から叫ぶヒーローでありたいんだ。
人は自分で思ってるより弱く、自分で思ってるより強い生き物。
翼が無いなら歩くしかないし、花じゃないから咲こうとするんや。
20歳になったら死んでやるぅ☆なつもりが、ズルズルと希望を殺せなくて10年経ってた。
30歳になって仕事来なくなったら絵描きはスッパリ辞める(つまり死ぬこと)つもりだったけど、そんなことにゃなってなくて「アンタだから」と仕事は来た。
だから、あたしはやる。
目の前の広大なタスクを、ADHDと戦いながらこなす。ちょっと頭パンクしやすいけど、無理しないで無茶している。
お絵描き帳を燃やされて大人にボコボコに殴られてヤケクソに焼け爛れてたオチビ、あなたは今でも絵に呪われて救われてるよ。
声が届くまで咆哮し続ける。
はみ出してるのは、見えないとこまで解るように歩いてきたから。
全ての共感者、護るべき者の為に。
今日も右手にはナイフじゃなくてペンを持つ。
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