取り残されること、見逃すことへの恐怖
まわりがバンバン仕事に行っているのに、自分だけ待機場や自宅などで一人でいる。
即姫や写メ日記、SNSや掲示板を数分おきに見なくては気が済まない状態。
何か取り残された感じがしませんか?
この焦燥感はFOMOといってテクノロジーの進化によって起きた現代病のようです。
一つの疑問が浮かびます。
「私ってお店がお客さんに案内されていないのでは?」
「待機中にもかかわらず、他のキャストさんばかり集中的に入る。」
「もしかしてお店から除け者にされていないか?」
無論、そうじゃないと、そんなことがわかっているけど・・・。自分自身を納得させていてもやっぱり気になりますよね。
私もキャストさんと同じ立場であれば同じことを思うはずです。
FOMOは現代病と言われていますが、人類はもっと昔から焦燥感をもって生活していました。
狩猟採集民だった頃、男衆は狩りをしたり、女衆は木の実を取ったり、集団に生まれた子供をみんなで面倒見たり。
集団が助け合って、個々の生存確率を上げていたのです。
だから集団から取り残されたり、自分がいないところでヒソヒソ話をされたりするのは、危機的状況につながります。
現代はお腹が減ったらコンビニでいつでも食べ物が手に入るし、子育てはセキュリティの高い保育所や専属ベビーシッターに任せる事もできます。
かなり楽ちんです。
集団生活の必要性が薄れています。これって裏を返せば個人の時間が増えるメリットがあります。
大切ではない人間関係から距離を置いて、自分の時間を取り戻して楽しむ。
目標や絶対に優先したい好きなことがあれば、それ以外のことはどうでも良くなる。
こんなこと集団生活の場では実行できないでしょう。
「取り残されること、見逃すことへの恐怖」を「取り残されること、見逃すことへの勇気」に変えてみるのも面白いですね。