映画『アイヌモシリ』
アイヌモシリを見た。
前半の淡々と流れる日常に途中でうっかり寝そうになってしまう。大人の中で無垢な少年の感性基準で伝統を見つめるなんて図式は、主役の子が本当のアイヌの血筋だと、まんま素材勝ちで決まりだよ。
それにしても少年が主役である必然性がよく分からない。新しい時代目線の象徴なのか。少年の他の同級生は同じ集落で、地元の伝統をどう思っているのだろうか。カントのみがアイヌの儀式に関わっているのもなんだか不思議。
突如出て来るジャーナリストのリリーさんは、やたら芝居が上手いからフィクション感が急に強くなる。どうせならデボさんじゃなく、少年にイオマンテの事を聞きだして心をザワつかせて欲しかった。イオマンテの事をビデオ(民映研の映像?)で知るとか直接的でもっと何とかならんのかと、いう感じ。そもそも家にあった物だし、普通にスマホでyoutube見た方が早いよね。そういう主人公が知る情報の差込がなんか中途半端。
森に対する挨拶として撒くお米(?)は急に教えてもらっているけど、集落では昔からやっているとかじゃないの?いきなりイオマンテを始まる事にしたりと、熊を飼う時点で相談しないのも現実的ではない。各大人の行動もまちまちで何を持って伝統を守りたいのかよく解らなかった。
映像的には綺麗だけど土地の全体が分かりにくくスッキリしなかった。実際の阿寒は同じアイヌを観光資源にしながら旧態依然の小さなお土産屋とデカいリゾートホテルの対比が今の現実って感じなのに映画の中ではホテルが見えないから架空の町のように見えてしまう。意図的に入れてないのだろうか。
映画のお土産屋で観光客が『日本語上手ですね』というシーンより、法事の席で位牌があって般若心経を唱えているのが驚いた。
よく見る北大の遺骨返還のニュースの際に祖霊に対する儀式などはアイヌ語で行っているのに、実際は個別の家では仏教なのだろうか。どのように折り合いがついているの?あんなに伝統を重んじながら、もう個別の家庭ではアイヌ独自の葬送文化は無くなってしまったのだろうか。今度行く機会があったら聞いてみたい。