板橋区立美術館『誰も知らないレオ・レオー二展』に行く。2020. 10.25
コロナ対策でHPから日時指定の来館予約をしないと入れないシステム。少々面倒だが今まで美術館は込むと落ち着いて見られないので、もうずっとこのままでも良い。
美術館の外壁には絵本『スイミー』の魚たちが泳いでいる涼しげな世界である。秋だけど…。ズレなければ時期的には夏の期間なんだっけ?そこは忘れたが開催されるだけでありがたや。
レオ・レオーニと云えば“フレデリック”などの可愛い動物(ネズミだが)が主役の絵本作家というイメージだが、誰も知らないとは何の部分なんじゃろうか。
展示の構成はアートディレクターとしての仕事(イタリア編、アメリカ編)、政治批判の作品、個人的記憶のモチーフ(黒い机)の作品、想像上の平行植物の世界『幻想の庭』、想像の肖像画(ここだけ撮影不可)、絵本の世界と鳥シリーズと、何だか入場料に対してのテンコ盛り具合が素晴らしい。今まで見た事の無い展示内容に、ありがとう板橋区立美術館と言いたい。
アートディレクター時代の仕事はイタリアとアメリカでは、国によってガラッと印象が変わっている。ほっこり暖かみがあるイタリアデザインと、モダンでシャープで、最低限のモチーフで伝える広告のニューヨークのお仕事、どちらもそのままアートポスターになりそうなカッコ良さ。
イタリアに対して、アメリカの仕事はキャラ的な人物は全く出て来ないのね。そういうものなの?時代なのかな。パンフレットや紙面デザインなどはポップな中にも読みやすさが考えられていて後々の絵本に通じる視認しやすさがチラリと見え始めている。
そして絵本作家のイメージからは想像も出来ないが、政治を批判した作品の展示もあり。当時は現在みたいに表面上でも各国が友好的な雰囲気じゃなく核の危機が危ぶまれたりとヒヤヒヤした時代なのに、米ソ冷戦を批判したイラストなどは表立って発表は出来たんだろうか。しかしその政権批判も軽やかで洒落てる。あの優しい絵柄を思い起こすから忘れがちだが、亡命していたりと危険を乗り越えて来てるんだよね。戦争の中で作家がどう生きて来たのかまでは、現代を生きていると理解が薄くなりがちなるので反省する。
一転して、架空の植物が織りなす幻想の庭。『平行植物』の一連のシリーズ。(wikiによると『平行』とは普通の異質性ということらしい。何じゃそりゃ)
架空の図鑑テイストで、こういうの好きすぎる。
工業製品の風車みたいな大きなグレーの向日葵。手帳いっぱいにスケッチされた奇妙な植物。大地に根を張る摩訶不思議な大木。時代を見ていた視点が自然へ、足元へ、土の上をすり抜ける存在へ移りかわり、そろそろ“ねずみのフレデリック”が駆け抜けて行きそうな雰囲気を醸し出している。
個人的にはこの異質な世界観や黒い机の作品は心の想像が外に飛び出して他を構わなくなったような自由さがあり、とても良い。イラストレーターの本秀康さんやアンパンマンのやなせたかし先生が時折描くようなプログレバンドのジャケット的な絵にも同様のテイストを感じる。人間の中の深部というか、それが低音でジワジワと響く感じ。
鳥、鳥、鳥シリーズの部屋良きかな。しかし絵本の原画の美しさよ、印刷と全然違うなあ。土や砂利や葉の艶やかさ生き生き感が違うね。これは現物を見ないとなかなか伝わらない。絵本の原画のみでなく他の仕事や戦争の時期を乗り越えたうえで、この世界に辿り着いたのかと思うと感慨深く見る目が変わる。
板美にしては、今回の物販は物量が多い。物販のレオレオ鳥(チコときんいろのつばさ )のブローチはどうしようかと悩んだが、もっとストールピンのような実用的な物だったら買ったのに。ブローチは案外使わないままで家で転がっている。ポスター販売は今回無かったね。タラブックスのように告知ポスターがそのまま部屋に飾れるものならいいのにね。勿論絵本の揃いは万全。
本当はねずみは嫌いで(ドラえもん的)絵でも駄目なのだが、フレデリックは見逃そうと思った。