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誰にも会わない旅。4日目。【午前】

誰にも会わない雨の朝。

連泊しているホテルの部屋からは駅が見える。眠っても深夜にカタタンカタタンと音がすると起きて窓から貨物夜行がゆっくりと走っていくのを眺める。夜行列車が好きなのだが特に理由はない。もちろんこの場所からは新幹線も見えるのだが、貨物の方がより音に情緒があって良い。これだけでも得をした気分で過ごせるので我ながら安上がりな人間だと思う。

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本日は南下する予定だが中尊寺には寄っておきたい。他にも行きたい所は多々あれども旅は取捨選択の毎日なので仕方ないのであった。行きしなに駅のコンビニですっかり気に入った小松製菓の『割り醤せんべい』を購入する。これは南部煎餅を割って醤油(八木澤商店醤油使用)に漬けた物で、絶妙なしょっぱいさが癖になり絶対的なオススメ。いつでも食べたいので是非、近所でも売って欲しいのココロよ。

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やってきた平泉は雨でレンタサイクルも借りられずに、駅から中尊寺までの1キロ半の道のりを歩くのは何とも億劫になる。18切符で旅に出ると否が応でも移動の連続になるのが年々キツくなってきて、今後はなるべく連泊で楽をしようと考えながら雨歩きのシンドさを何となく紛らわした。慣れない場所はバス乗り継ぎのタイミングも今ひとつで、毛越寺はまた今度。


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中尊寺の正面まで辿り着くと、参道の両側に20m級の杉の木立が出迎えてくれる。霧雨で雰囲気の出てきた道をゆっくり歩いて行くと、時折に杉の葉を伝って大粒の雨が頭に落ちて来る。ビックリ冷たいよ。道中、ほとんど人の姿は見えずにヤマユリの強い香りだけが固まりになって時々ぶつかって来る。


ここに来るのは3回目だが、弁慶堂入口の顔出しパネルは20年前に来た時もあったと記憶してる。後で確認をして調べたら薙刀が大きく違っていた。顔出しがあるのは弁慶だけで義経パネルは無い。強者どもの夢の跡。

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しばらく来ていない間に世界遺産にもなったので周辺のレストランは見違えるように新しくなっていたが、今年はどうにも観光客も居らずガラガラで商売は厳しそうだった。


参道を歩くと前回来た時にあった繋がった木の根のうちの何本かが切られていたのが目に入りちょっとショック。台風被害なのか寿命なのか残された年輪を数えると随分永い間立っていたのが分かる。何ともおつかれさまです。

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道々のお堂で参拝をしながら本堂に到着。中尊寺は比叡山延暦寺の高僧が平安時代に開いたお寺だそうで歴史がある。その当時に東北の山村であるこの場所をどうやって決めたのか不思議だ。本堂に上がると奥には釈迦如来の像が厳かに座して両サイドには不滅の法灯がある。火は延暦寺の根本中堂から分けられたものだろうか。以前、延暦寺で見た根本中堂の静かな異空間と同じ灯かと思うと感慨深い。

この世界のどこかに千年も灯り続ける火があると知るだけで過去の時代と現代がなんとなく繋がっているような気がする。堂内に満ちたお香の甘い香りは雨で疲れた気分を落ち着かせてくれた。靴を履きに外へ出ると、濡れた靴下のせいで縁側に歩いた跡がついたまま、まるで怪談に出て来る幽霊の足跡のようで少し笑った。

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隣の峯薬師堂は目にご利益があるというので、目に不安の年頃としては忘れずに参拝。のぼり旗の目が並んでいるアイコン的な絵はナゾー、キャラ的なヴィジュアルがとても強い。絵馬だって『め』がこちらを見つめて来るので思わず目を逸らし遠くの緑を見てしまい、そのままブルーベリーを食べるときっと目が良くなるのであった。

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金色堂の前に讃衡蔵(宝物殿)に行く。というか実質的に共通チケットはこちらで販売しているので宝物殿を先に回る。館内は平安時代から伝わる宝物が置いてあるが、他の宝物館と違うのは単なる展示ではなく仏像の前に賽銭箱とお供えがあり参拝できるので実質は寺ではないかという所。この展示の仕方はとても良いので国立博物館の仏像展示もそうして欲しい。企画展などで仏像があると、そのまま通り過ぎてよいのかちょっと考えるので、いっそ賽銭箱を置き参拝してありがたい気持ちで鑑賞したい。

そして誰が考えたのかは知らないが十一面観音のデザインは大変美しくて素晴らしいのであった。


そのまま奥に進むと藤原氏の埋葬された当時の棺や装束、副葬品の展示があるのだが、棺が総金箔貼りとはスゴいよな、秀吉だってビックリだろう。装束に関しては1000年も前の絹織物が現存する物持ちの良さに驚くというよりは、蚕の神秘性を感じてしまう。布は丈夫だ、そして枕は高すぎるんじゃないかと思うよ長い眠りなのに。


金色堂の入口前には修繕中と案内が出ているが、修繕中であっても見学はできるそうなので、中に入るとナルホドな、伽藍の左側が空だった。総金箔のスゴさだけが伝えられるが、実際に目にすると巻柱など浄土デザインの格好良さと螺鈿細工の凄みに圧倒されてしまう。まさに浄土の具現化極まれり。宝物殿の仏具の細工も緻密な装飾が施されていて千年前の職人の仕事が今の世まで残り、更に先の世まで続く不滅の創造の魂を感じる。何故、平安時代の東北にこれほどの工芸の極みが集まったのかは知らないが、覆堂もない時代に森の中に金色の平屋が建っているのを想像するとただ幻想的である。松尾芭蕉はその姿を見たのだろうか、羨ましいな〜。

そしてその伽藍の下には今も藤原氏の御遺体が眠る。毎日騒がしくて申し訳ないね。屋根の瓦が木で出来ているというのは何回か来ているのに情報として抜け落ちていた。忘れん坊なので毎回新鮮な気持ちで観覧。江戸時代に作られた覆堂は、いまは役目を終えて少し離れた場所で見学できる。結構な大きさで重機も無く建てる昔の人はスゴいよな。

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ここまで来て気がつくのが外国人観光客の姿である。いつもなら各地で見かけるがコロナの影響か、一般観光客は全く見ない。しかし中尊寺には外国人ファミリーが何組かいた。海外からわざわざ来たというよりお父さんの風体から国内の米軍基地から観光に来たファミリーらしい。どこもそうだが親の知識の関心とは裏腹に子供はすっかり退屈して帰りたがっていた。

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雨の中を歩き疲れたので、参道脇の古民家茶屋に立ち寄るが、頼んだコーヒーはインスタントで善哉は今ひとつ。縁側からの眺めは最高なのだが、客はなくお膳はセルフで返却するシステム。暇そうなので下げるのくらいはやって欲しいよ。建屋は良いのに飲食がイマイチなので、いっそスターバックスコーヒーにした方が良いんじゃないかと思った。

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帰りは何とか駅までのバスに間に合う。循環バスのルートはいくつか遺構を回ってくれるので最初から乗れたら良かったが、結局時間がとれないと観光はナニかと難しい。


帰りに駅近くの『泉屋そば』で蕎麦を食べる。この店は2度目で、その当時は語り部が常駐して随分賑やかな感じだったが今は老夫婦だけで静かに切り盛りしていた。創業100年超の老舗でもあるが後継者の姿はあるのだろうか。店内の壁には『源義経公東下り行列』の幻となったゲストの写真が貼ってあり、コロナの影響で折角の地元のお祭りが中止になった残念な気持ちが伺えた。

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夏なのに、東北は少し寒くてしんみりとした。

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