![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/94692509/rectangle_large_type_2_409a2bf3471abead7940e0db1c6e8a98.png?width=1200)
帳尻
実は三年ほど前
隣家からの水漏れ事故で
修繕に17万円の自己負担が発生した時に
なんだよもらい事故でなんでジュウナナマン
と納得できねえと思ったのと同時に
ああ、ここでそう来たか
マッテマシタと思ったのには
訳があって
離婚する時に
私は慰謝料を相手に請求していて
インド式に
最初の値段はバアンと吹っ掛けて
あとは交渉で
半値、半値、半値みたいな
跡形もないような金額に落ち着くような
やり方で行こうと思っていた。
別にお金が欲しかったわけでもないし
その人に特別な感情が湧いて憎くて
仕方ないというほどでもなかったけど
まあ人並みには頭に来たけど
終わりにするのに
何か落とし前ってもんが
お互い必要でしょうと
謝らないというならそれでもいい
じゃあ、お金で自分達に非があったことを
認めましょうよ
なんにもなく、無傷でお互い済むとは思うなよって
ちょっと脅しもあったと思う
本人たちが
絶対に認めようとしなかったから
結局
その人の
一か月分の給料の手取り金額というところに
落ち着いて
私は金額はいくらでもよくって
互いに納得できる数字を探しただけで
いいですよって
お手打ちにしたのが
17万円だった
でも自分でも
その人だけが悪いとは思わなかったし
全体の大きな流れの中で
その人がそういう役割を果たしただけだって
分かってはいたから
でも頭には来ていたから
落とし前だって
ふんだくったけど苦笑
でも私がもらっていいお金じゃないよなって
ずっと心の片隅で思っていたから
恐喝だなこれ
汚いこと私もやったなと
十字架背負ったなと思っていた
修繕に17万ですって言われたときに
内心ホッとして
あ、やっとあの時のお金を手放せると思ったのを
覚えている
言ったことも
やってしまった事実も
消せはしないし
これで無罪放免帳消しとか
そんな虫の良い話も
無いのはわかってる
ワタシガ コノクチデイッテ
コノカラダデ ヤッタコトデス
もらうべきではないお金とか
足りていない支払いとか
きっちり集金に来るもので
逃げ得ってことはないと思ってる
自分のやったことの落とし前は
いつか誰かが回収に来るものだと
私が落とし前ですと言って回収したように
好きなことをやって
それが誰かの悲しみの上に立ったら
それは幸せとは呼ばないと以前は思ったけど
それは気づいているか
見えているか
気づかないか
見ないかの違いだけで
誰かの悲しみの上に乗っからないで
生きていけると思ってる方が
よっぽど傲慢で
善人面するかしないかの違いで
誰も傷つけないで生きてなんかいけるかって
でも意図的に傷つける必要はなかったやんっ話だけど苦笑
誹りも責めも負う覚悟で
どうしても済まない自分の気を
鎮めるためだった
それで気が済んだかと言われると
そんなマジックみたいにチャラになることではなかったけれど
落とし前はつけたと思ったから
それが前に進む推進力になってくれたから
後悔はしていないいや 少ししてる あれでよかったのかと
最後の審判
扉の前に立たされるその日まで
今生でこのタイミングとステータスで
出会う全ての意味の答え合わせのその時まで
全うする
何を?
わかんないから
今考えてる苦笑
スーパームーンの次の日の星の見えない夜に