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誰がために鐘は鳴る

うわースゴイの引っ張ってきちゃった

壮大な交響曲みたいなのを書こうと張り切ってみたけど
中折れどころか入口すらわからなくて
開けゴマって言えば開くんだっけ
アラジンと魔法のランプを読み直さなくては

向かない
そういうのは赤毛に向かないのだと
下書きに入れもせずにポチッとデリート

困ったときはいきなり結論で行けばいいのだと
トグル入力の人差し指が
ココダヨココ思ってるより下の方って
教えてくれるから

福祉の仕事を長くしてきたのだから
勿論その動機にもモチベーションにも
ナイチンゲール的な利他があったのは間違いない

けど

修行じゃないし祈りじゃないし職業だし
そんな誰かの役に立ちたい人様のためって
思いだけで続くわけもなく
どこかでぶち当たるのは
それもまた承認欲求を他者評価に転嫁して満たそうとしている
代償行為じゃねって
自分だけは結局騙せないでぶち当たる壁

えらいわねえ、福祉のお仕事してるの
いい人って思われることで
結局は普通の仕事で届かなかった自分の能力の低さを
見ないで済むように逃げ込んだ世界だったかもしれない

欺瞞

ほんっとに赤毛は中2だ
まだこんなこと書いてる笑
2児の母それもシングルマザーなんだから
もうつべこべ言わずに黙って働けと
左脳がツッコむけど

その右脳がブチ切れてくも膜下出血してみれば

ああ私はまだ見たい世界がある
聴きたい音楽もあるし
会いたい人にも会っていないじゃないかと
しばらくは死なないと思っていた人生に
いきなり死が突きつけられて
ああこうやって死んでしまうのか呆気ないんだと思うと

人のためになんて生きてる場合じゃないだろ
自分のこと置いといて生きて
はい今生はここまでねってシャットダウンの時を迎えて
それでええんかと自問自答して

答えはノーミュージックノーライフと
病院のベットからぶっ生き返すと起き上がる

シコシコnote書いたり
セコセコライブに馳せ参じたり
ヨタヨタ知らない街に繰り出してきた

自分だ自分
自分ばっかだと言いながら
生まれてきたのに自分を主語にしないで死ぬのかと
振り切れたタコみたいに自分探しの旅に齢50で出たけれど

勿論
うおおおおっと叫びたくなるような瞬間もあったし
まだ見たことのない景色を見ることが自分の人生に用意されていたのかと
生きていてよかったと思った

けれども

なにかが足りない
何か満たされない
何だこの欲求不満な感じ
欲求を満たしに出かけているのに
残るのはまだ足りない
もっともっとという
ぽっかり空いた底知れぬ沼
ブラジルまで突き抜けてしまいそうだ

好きに生きよう
思うように生きよう
自由に生きよう
みたいに書いてきて実は
自分が主語で生きることへの限界を感じて

なんだこれ
またリセットなのと思い始めた頃に

一冊の本に出合った

ビクトール・フランクル 夜と霧
出た 余りにも有名な世界的な名著
アウシュビッツやホロコーストを描いた本は読んだことがないわけじゃなかったけど
この一冊はどうしてもハードルが高くて
手にする気にもなれなくて

収容所を生き抜いた人がそれでも人生は素晴らしいと語るとあらすじで読んで
果たして自分に咀嚼できるのか
どう理解すればいいのか
フックがあるのか引き出しにしまえるのか
皆目自信がなかった

けれど今回ちょっと勘違いもあって
勇み足で読むことになり
それはそれで他力でいい読んでみようと思った

内容については書いたらそれだけで何千字も費やしそうだから
今回は書かないけれど(書けないけど)
結論として(イキナリや)
自分のために生きるのではなくて
他者に自分を投影して
他者の中に自分の役割を見つけて生きなさいと
フランクルさんに言われたと思った

ああ、そうだ、やっぱりそうだ
自分自分って自分をいくら掘ってもブラジルまで行っちゃうだけで
何も見つからないんだ
誰かのために生きるというと綺麗過ぎるのだけど
仕事だったり、母親だったり、娘だったり、友人としてだったりしながら
誰かの何かになって生きることで
自分の輪郭は誰かの記憶の中でしか顕わにならないんだと

今まで自分でもどこか胡散臭いと思っていた福祉の仕事も
方向性としては間違っていなかったと
誰かと関わることで自分の役割を果たしていく
自分はあくまで黒子で、自分が前に前に出ないで
聞き役や、調整役や、太鼓もってダンダン応援する役目を果たさんとやってきたことは 自分探しをするよりも余程
私を私に教えてくれてたんだと思い至った

なんで赤毛さんそんな天啓に打たれたみたいに
大上段に引っ張って来れたのかと思われるかもしれないけど
そうなんだから仕方ない苦笑
フランクルさんには、読解力のなさをお許し願わねばならないかもしれないけど

終わりのない自分を満たす旅に疲れ果ててしまう前に
誰かの人生に少しでも良き記憶を残せるように
自分の人生を生きるのだと思うと
円環するというか熱量が循環し始めるのを感じて
自家発電の永久機関って証明されていないのよね
うん、きっとエネルギーは水力発電じゃないけど
落差とか差、つまり他者との交換によって生まれるんじゃないかと思う

五十肩のリハビリに行ったライブで右のこぶしを挙げてたら
今日整形の先生に、赤毛さん肩甲骨回り随分と固さが取れてきましたねと言われてホクホク
やっぱりライブは健康法な齢半世紀の赤毛の三連休真ん中な朝に

君と僕を任せたいのは
やっぱりRADです





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