砂上の楼閣または文学部の意地
それが、スティビー・ワンダーのOver Joyed だと分かるまで少し時間がかかった。
今思うに、この知りたいけど分からないで保持し続けるシツコサというか、意地というか、熱意が、知る喜びだったり探究心の源なのではないかと思ったりする。
美しいメロディー
ロマンチックな恋の詩
水音が遠く聞こえるようで
遠い胎内の記憶を呼び覚ますようで
何度も何度もウットリ聞き惚れた
ところで
人はどのように人の印象を作るのだろうか。(無理矢理話をねじ曲げるのが好き。できればこの曲を脳内再生していただけると、力技感も少しは減るかと…)
多分視覚、音声、嗅覚。ファッションセンス、行動、会話。多分大きく言えば、三次元の情報のやりとりの結果。同じ職場で働いている姿をみて。野田洋二郎が歌っているのを聞いて。ご飯一緒に食べてみて。吊り橋を渡っていて。合コンで意気投合して。まあ、色々なシチュエーションがあると思うのだけど。
言葉。2次元の情報で踏み固めて、人は人を形作ることはできるのだろうか。(音声言語も含みつつ、表記文字としての言葉を尽くすことで)
本を読む人ならだれでも、文字情報をイメージの世界へと編んだ物語に私たちは鮮やかに再現できることを知っている。
言ってしまえばタッタ?二文字のスキを伝えるために、あーでもないこーでもないと一冊分の言葉を費やす。
じゃあ?人と人は文字の世界で恋をし、砂上の楼閣を築くことができるのだろうか。
そんな実験というかトライに
信じる心、願う心と音楽の力を借りて、今日もペタペタと砂浜に遊んでいる。