新年のご挨拶に代えて 淡々と日常を
年を取っていくと
段々同じサーキットを周回しているように
毎日がなってくる
若い頃みたいに
あっちにぶつかったり
こっちにぶつかったり
エンストしたりバーストしたり
急にスピード上げたりしないで
これまでやってきたことの延長線上で
毎日が送れるようになってくる
それを安定と呼ぶのかもしれないし
老化と呼ぶのかもしれない
まあ私は年齢的にはまだまだ高齢者にはいれてもらえないんだけど
感覚的には
昨日と同じ今日
去年と同じ今年
年々変わり映えしなくなってくるなあと
その時までは
実はさほど実感していなかった苦笑
今はっきりそう思うのは
去年とんでもなく大きな変化が訪れて
分水嶺
ビフォーアフターみたいに際立ってみて初めて
それまでの時間が平坦に凹凸が無くなってきていたのに気づいた
そのサナカにいるときには
物語の全体図は私たちには見えないし
(見えたら神や)
一ページ一ページ
暗夜行路を進むしかない
けれども
来し方を振り返るのは
人間にもできて
大きな分岐を自分が越えたことに気付く
突然の病気で瀬戸際に立たされてみれば
何が大事か、何が大事でないかが
それまでは世間体がとか、見栄がとか、
そうはいってもまずいよね
みたいに自分で自分をごまかせていたものが
もはや取り繕う相手なんて
誰もいないことに気付いて
あほくさくて、
ばかばかしくて、
めんどくさくって
やってられなくなるし、
やらなくなる笑
生命維持装置級に?それホントに要る?って
今でなくてもいいよねって
わかってしまうから
すぱあああんと捨てたり、
取り敢えずといまはそこに置いておくことに
躊躇が無くなる
自分にだけ聞けばいいんだ
逆に言えばこれまでは
お正月はお正月らしくしなくちゃいけない
そうあるべきだと思う形に少しでも近づけようと
仕事納めが28日
そこまで全速力で仕事も家事も回して
更にその勢いを緩めずに
今度は正月の用意にあくせくしてた笑
大掃除もしなくっちゃ
網戸も洗って
冷蔵庫と、食器棚も掃除して
カーテンとか大物も一度全部洗濯しよう
ちょっとは贅沢して旅行にも子供等を連れていきたい
どこもいかないのも不憫だしと
サイトを見て近県に一泊くらいはと旅行を予約する
28日までに出せというから年賀状もこのくそ忙しい中印刷して
宛名くらいは手書きで書きたいよねって
夜遅くまでシコシコ書いて
紅白なます作って、黒豆煮て、お煮しめ煮て、焼き豚タコ糸でグルグル縛ってって
花屋に松を買いに行って玄関に生けて
なあんて
まあよくやっていたよな笑
とにかく全方位的にソシリを受けない笑
仕事も、歳時記的にも、子育てもと
幸か不幸かやれてしまう自分だった
けど、ホントに自分がやりたいかとか
やる体力があるのかとか
やったとして、自分が楽しいのか
目に見えないホントはいやしない人に勝手に配慮して
やろうとしてるだけじゃないか
とか
改めて自分の小さな胸に手を当ててみると
(貧乳じゃありません。小さな胸です。お間違えの無いように。
似て非なるものですから笑)
やりたくない
とか笑
いまじゃなくても全然いい
という返事が自分から帰ってきて
結果ほぼほぼ普通の土日と同じ休日感で
この正月休みを過ごしている笑
正月感ほぼゼロ笑
長女にも
今年はママ、特別なことなんもしなかったねえと言われる始末で笑
お前もなって!笑
長女自身もいつもと同じようにペンタブ握ってマックの前でイラストかいてるだけなんだけど笑
まあ、今年は受験生もいるから
そういう雰囲気でもないし
ただ、人に会うのだけは止めない笑
自分が楽しいと思うこと
思う人に会うこと
これは止めろと言われても止める気はない
実際に言葉を交わすのはわずか一時間だったとしても
往復で二時間かけて
出向いていくのアホさを心から楽しむし
友達の長女の大学生三年生の女の子に
お借りしてる本を返したいんですって
連絡もらったから
なんか話したいんだろうなって
今日は二人でお茶するつもりだ
何ヒントになる本をうちの本棚から
また貸してあげられたらと思う
誰かの言葉を受けて
自分の脳みその中身取り出して照合して
どういうことだったのか確かめる作業が
朧げな何かに形を与えて
少しずつ分かるということに近づくことなんだと
去年の私が当たって砕けながら
教えてくれたので
それは緊縮財政の折でも笑
節電だろうが円安だろうか
金利が事実上の利上げだろうが
北朝鮮からのミサイルが上空を通過しようが
コストカットせずに
大切に自分の中で死守しようと思っている
なので、一年の計は元旦にありに逆らって
ご挨拶もせずに
それらしいことを申し上げることもしないで
いつもと同じように
徒然なるままの日暮らしを
ノートパソコンに向かって
そこはかとなく書き綴っている