四星球とともに
ースウシンチュウ?ムニャムニャ?
SpotifyのRADセレクションからの一曲に、寝ながら長女が反応する。
お前は孫悟空か。四星球集めてるんかいと突っ込みたくなる笑
ーRADだよ 違うよ
ームニャムニャ
再び眠りの淵に落ちる長女日曜のもうすぐお昼笑。いい加減起きろやと思うけどなんの夢を見ているのか。そこだけ起きてくるなんて、どんだけ好きなんだろ。
スウシンチュウは五月のフェスで出会った長女の推しバンド。コミックバンドかと思わせる出で立ちなんだけど、仕込みが完璧らしくて、この面白さとすごさは、後日談で言葉で追いかけて説明しても絶対に伝わらないから、説明しないという。
そういうところはすごく長女らしいなと思う。潔いというか、伝わらないことをわかっている。言葉を信じていない。話していても、伝わってないなと思うとブチっといきなり断線、黙り込む。
それは元夫によく似ている。彼もうまく言えないから、言葉で伝えられないから、歌うんだというようなことを言っていて、その当時は、は?何言ってるんだか、いい歳こいた大人が、これだからミュージシャンは、いつまでも甘ったれたことを。と思って意に介さなかったけど、今ならわかる。
どんなに思っていても、逆に深く思うが故に、言葉で伝わらない思いがあること。伝わっていないことがわかって、それでもその向こう側に一緒に行きたくて、歌うことがあることを。
私に向けて歌ってくれたのに、聞かないふりしたな。カナリアは歌わなくなっちゃったけど。なんで今頃わかると思うようになったのかなあ。分かり合えなさを、ふたりで煮詰めたからかな。まあやりきったとは思う。
次女と私は、言葉を信じて、言葉を尽くして、部分理解や暫定合意にいたるプロセスが大事だと思うタイプで、だからよくふたりであーでもないこーでもないと浅瀬で話す。深く吸い込む前には、深く吐き切るプロセスが必要だ。ふたりにとって、このキャッチボールの時間が吐く息に相当し、そのあと深く深く潜っていく作業は一人でしかできないことを、これまたこの子も知っていて、私は浜辺で一人見送る。
きっとその時耳元では四星球が音を鳴らしているんだと思う。
親にはもう一緒に行ってやれないところまで、二人の娘がそれぞれ歩いていこうとするのを、お土産に買ったのに渡しそびれたTWGの高級クッキーをボリボリ食べながら、なぜが早くやってきてしまった生理に首を傾げて(ええ、分かっています。ただの更年期です笑)熱風に吹かれて眺めている。