樺美智子さんと
時代のある側面を個人の人生に引き受けて強い印象で記憶に残る人がいる。先日記事に書いたビクトル・ハラもチリの社会運動を語る上で欠かせない人だ。
枚挙には暇がないが
その辺りの時代の日本でなら、敗戦を知らず南の島で一人生き抜いた横井庄一さん、小野田さん。オリンピックで国民の過剰なメダル期待に応えられない自分を詫びて悲しい遺書を残して自殺した円谷幸吉さん、市ヶ谷駐屯地前で自衛隊員に決起を呼びかけ割腹自殺した三島由紀夫。17才の右翼少年に壇上で刺殺された浅沼稲次郎。
そして日米安保に反対するデモの騒乱の中で亡くなった樺美智子さん。
人生は自分のものだけど、神様に選ばれたのか余りに数奇な人生を駆け抜けるように生き抜いた人がいて、強く照らされ陰もまた濃い人生に私たちは耳を澄ませ声を聞くべきだと思う。
現代が金融の時代。いかに稼ぐか。いかに多く手にするかに血眼な時代だとすると、リアルにその時代の空気を吸っていないので、実際のところは分からないのだけど、この時代の若者は思想に夢中になっていたように見えて、ラブアンドピースも、反体制デモも、安保闘争も、自分たちが大切にしようと思う価値観を守るために身体を熱く奮い立たせたという風にみえて、ぬるーく生きてる茹でカエルとしては、脳天かち割られるような気がして、自分ではどうしても気になって、本の中に映像に写真に何かを探してしまう。