満月の夜に

例えば、ジャニス・イアンが好きだったら、彼女の曲starsをニーナ・シモンがカバーしているのも多分聞くことになるだろう。
それから公民権運動つながりでボブ・ディラン、ジョーン・バエズ、日本に飛び火して岡林信康、高石友也、五つの赤い風船、村八分、頭脳警察‥とフォークしりとりが進行するかもしれない。

もしも寺山修司が好きだったら、短歌で深掘りしていく人もいるだろうし、ボクシングか競馬に夢中になる人もいるかもしれない。
私の場合はそこから暗黒舞踏にはまり、赤色彗星館という白塗りの舞踏ユニットを新宿の路上に追いかけていた。土方巽や大野一雄、田中泯。それから土方巽を撮った細江英公の鎌鼬から、写真に興味を持って、土門拳の筑豊のこどもたちをみて日本にもこんなに貧しい時代があったのかと衝撃を受けた。(当たり前だ。戦争に負けたんだから。今しかみない茹で無知ガエルは恐ろしい)カンボジアに行った時は一ノ瀬泰造のお墓参りもした。

何が言いたいかというと笑

好きな○○。アーティストや、本や、音楽やミュージシャンがひとつ見つかると、そこから芋蔓式に世界が広がっていき、出会うべくして次の出会う人たちに出会うことになる。好きになった人やモノがネクストウエイティングサークルで待つ次の何かに繋いでくれる。
細江英公の薔薇刑からの→三島由紀夫→楯の会→一水会からの街宣車マニア、とかもあるかなあ。偶然出会うようでいて、実はそこでいくつかの選択肢が待っており、よっ、待ってたよ。遅かったじゃん。次はこの本読んでね!これ聞いてみ!気に入ると思うよ!とバトンが渡されるような気がする。
但し、その列車は定時定刻運行されているわけじゃないから笑、結構気まぐれで、月でも行く気かと音速ジェット機みたいに走り出すこともあるし、廃線になることもあるし、行き先変更もあるし、それが旅の醍醐味だ。(なんの話?)

というのも、最近会話時のワーディングに妙に符号を感じたり
互いに別々に生きて別々に記憶を重ねているんだけど
引っ張り出してみるそのエピソードに既視感を覚えたり
(ストーカーじゃないよ笑)

なんなんだこれは?
ピシャア、ピシャアと着地の決まる内村航平のような
足の裏から床を掴みに行くような
不思議な時間を経験している。


偶然と呼ぶにはあまりにもうまく出来すぎていて
これはもしかしたら
ー遅いよと怒る君
 これでもやれるだけ飛ばしてきたんだよ
                    (もち、前前前世より引用)
のやつか?!
とオキシトシンが放出されそうだけど、イヤマテ、落ち着け。
そうじゃない。
これは過去の自分の思考と試行と志向の繰り返し積み重ねをソートしたアリゴリズム。または気のせい笑。

と、これまで半紙一枚一枚重ねてきた全ての記憶の重なりの先に
次の出会いや、学びや、気づきがポンと置かれているのかもしれないと
あるがまま意味付けせず
無理に転がさずに
心が流れていきたいと思うように流してあげたいと思う。
気分はすっかり金曜の夜なのに、あとまるいち日あるのにどうしよう
と思う満月の夜に

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