映画キリングフィールド

人間の狂気のことを少し書いたのだけど
狂気のことを読みたいと思う人は少ないだろうなあと
立場を変えてみれば思う。

どうして、チコさんは、イタイことを好んで
読んだり見たりしようとするのか不思議です
普通人はそれを避けようとするものなんじゃないですか
と言われることがある。

別に好きなわけじゃない。

炭鉱と貧困、土門拳
虐殺とポルポトとキリングフィールド
インドパキスタン国境紛争とジョージハリスンとバングラコンサート
アウシュビッツと夜と霧
ヨイトマケと丸山明宏
イムジン河とフォークと放送禁止歌
インドとスラムと石井光汰さんのルポ
梁石日とアジアとペドフェリア
沖縄地上戦とハイサイおじさんと喜納昌吉

あー書き連ねてしまうと暗い

でも
音楽が好きな人なら
本を読む人なら
旅をする人なら
アートの神様のシモベの末席と自分を思うなら

アートは別に美しいものを生み出す営みではなくて
人の醜さや愚かさの土壌から蓮の花を咲かせるような、その意味を転換する試みだとは思わないだろうか。

負から正へ
エネルギー転換装置

アプローチの仕方は人それぞれ、個性が出るところ。私は本を読んだり映画を見て、所謂表現を通じて、人間の狂気や、狂気が暴走した虐殺や戦争の軌跡を辿ることに惹かれる。人の暗部そのものに興味があるんじゃなくて、そこに迫ろうとする音楽や、写真や、本に、それを書く人に、奏でる人に惹かれる。

無論私の日々は間違いなく安寧で恵まれている
その最中にいる人たちに理屈をこねくり回すそんな余裕はない
その中で表現し続けたからアンネの日記は読み継がれるのだ
私は高みの見物、火の粉を被らないところにいる
所詮は偽善と言われたらそれまでだ

ただ、黙ってその上にあぐらをかくことだけはしたくないと
本を読むのは自分への言い訳かもしれない

ウーン。イマイチだ。
まだ捏ねくり回し足りないから、書いていて展開に弾みがつかない。でも、このヒリヒリする痛みから何故自分が目を反らしたくないのかは、これからも言語化すべくポンコツCPUをカリカリ回し続けよう。

また出直します。

サンデル先生んところに修行に行くか、
いや、高円寺ガード下、三上寛さんの店、無力無善寺で修行するかな

※音楽は映画キリングフィールドより。
古い映画ですが
ぜひ一度

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