一人称じゃなく二人称で
くも膜下出血から原因不明と太鼓判で
行きは救急車だったのに
帰りはよいよい正面のエントランスから
迎えに来てくれた妹に付き添われて退院して
気分は出所した親分で
姐さんお勤めご苦労様ですって荷物を持ってくれる妹の夫の赤いボルボで帰宅してから
多分人によっては思いがけず助かった命を世のため人のために
今までお世話になった人に恩返しするために使おうと
改心するというか悔い改めるのかもしれないけれど
私は自己中心的なワガママで幼稚で強欲な人間なんだなあとその時に思ったのだけれど
如何にせむと薄い胸に手を当てて問うと
ああ死は不可避で時期を選べないのなら
定年後とか子育てがひと段落してからとか
ご褒美のように何かを先に延ばして今は我慢我慢頑張れアタシって爪噛んでたら
ああ冥王ハーデスが迎えに来ちゃったら間に合わないやんと
書き留めておくこともそうだし
急げ急げ間に合わないぞってものすごい勢いでアウトプットし始めたのだけど
やりたいことリストを100個書きだす時間があるなら
一個、一個でいいから自分のやりたいことを今やろうと
私を前面に押し出して
とはいっても仕事には行かならんし、稼がなあかん
子どものことも家のこともほっぽりだすことはできないから
支点力点作用点を組み替えて
とかいってド文系の赤毛のいうことだから
あくまでテキトーなイメージの比喩だけれど
後回しでもいいこと今でなくてもいいこと
手を抜いても死なないことと
トリアージして優先順位を組み替えて
満を持してライブにせっせと出かけたり
突撃隣の晩ごはんと旅に出たり
こうしてお粗末ながらシコシコ物を書いたり
自分のためだ自分、自分の欲求を満たさんと
人のために仕事のために家族のために娘のためにって
そんなの二の次だ自分だろ自分ってやってきた
けど
なんだかいつまで経っても何をやっても
自分の器が満たされたという時がやってこない
なんだこれ、こんだけ好きなことやってるのに
まだ足りないってどういうこと??と
エンドレス沼にハマったのかと
思い当たるところのある右脳がヤベえと凍りついて自問自答が始まったのが今年だったかもしれない
もしかしたら私は間違っていたのかもしれないと
自分ばっかじゃ自分の為じゃだめなのかと
大体わかんなくなったときは立ち止まって
真逆に振れて考え直してみるのだけれど
そこに中村哲さんの言葉が降臨する
人生の目的は他者のために生きることにあります
その間の喜怒哀楽は引き受けるものですと
うええええ
やっぱりそうか利他なのか
利己じゃなかったのかと
基本思考回路は簡単に上書きされる中二病
インスタントに天啓を受けてしまって
自分を材料に自分の人生を形作ろうとしたって
そうだ自分は自分で見えないから
結局自分で自分を彫るのが一番難しいのかもしれない
だけど自分を他者の人生に投影させて
誰かの中に自分を生かすことが出来れば
それはその人の記憶に残ることもできるし
生きたという証は人の思い出の中に残すべきものなのかもしれないと
書くという行為もまた自慰でもあるけれど
やっぱり読まれるものとして受け身のものとして書いたときは
誰かを意識して誰かのためにというと大袈裟だけど届けたい伝えたいと思って書いたものと
自分だけにに向けて書いたものとは
体裁としての文字の連なりは同じでも
やっぱり振動覚、伝導率は違うと思われて
リメンバーミーじゃないけれど
誰かが自分を思い出してくれるうちは死なないというけれど
誰かの中に自分を生かす
つまり誰かのために自分が生きることでしか
自分の爪痕を可視化することもできないし
この身体はいつか後塵に期するものだから
まあ死なないってこともまあそれはそれで恥ずかしいというか
忘れられることもまた
生きる時を輝かすのだと思うし
伝記の人物なんかはそろそろほおっていてくんないかなと内心思ってるかもしれないしけれど
やっぱり
あなたのことを思って生きなければ
私が生きたことにはならないのだと
答えをもらった気がしたのは
不治の病 絶賛中二病なんだろう
やっぱりYOU&ME
あなたがいないから少し寂しいし
あなたがいるから少し嬉しい