東京キューバンボーイズがやってきた! ―‘労音’に通う若者たち
レコードで音楽を聞く。あるいは、ラジオ放送に耳を傾ける。
レコードプレイヤーやラジオ、テレビが各家庭に普及し、音楽が身近になってくるにつれて、「もっといい音で聞きたい!できれば、生で聞いてみたい!」と思う若者は増えていくのは、当然の成り行きです。
しかし、ここは松山と高松に挟まれた、新居浜。みながこぞって聞くような人気アーティストの生演奏が聞ける機会は、ごく少ないものでした。そんな中、若者たちに貴重な「生演奏」を届けたのが、「労音」=勤労者音楽協議会が主催するコンサートでした。
「労働者が中核となって、音楽を売る方の組織を良心的につくること。労音は、その一つの良い例です。」(『われらの音楽 労音の若者たちと』大木正夫 あゆみ選書1967)など「労働者」が主語になっている言及からも示唆されるとおり、全国に多くの組織を展開していた「労音」はもともとその出自からして左派的な思想と親和性が強く、それがときに批判の対象にもなっていたようです。
しかしながら、「見たい人が来たら行ってみよう」という言葉からもわかるように、当時の若者たちはその思想の左右に関わらず、純粋に音楽を楽しめる貴重な機会として、これを享受していたようです。
1949年結成の東京キューバンボーイズは、マンボやラテンなど中南米の音楽を日本に紹介した先駆者として人気を博したラテンバンド。リーダー・見砂直照を中心として情熱的に演奏されるマンボのリズムは、日本中を席巻しました。
そして、テレビやネット動画などで、ライブやコンサートの様子が当たり前に見れるようになった現在。リスナーとして、もしくはプレイヤーとして当時の「ラテンブーム」の只中にいたかつての少年たちは、こう当時を懐かしみます。