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【先行公開!】昭和40年代(1965-1974) -駆け巡る‘電撃’!ビートルズの来日とGSブーム

 昭和40年代。当時の日本中の若者たちの「音の記憶」に、‘電撃’が走りました。ロックバンド「ザ・ベンチャーズ」と、「ザ・ビートルズ」の来日です。それは、昭和30年代にエルヴィス・プレスリーなどを筆頭に若者を熱狂させた‘ロカビリーブーム’を超える衝撃でした。

 ベンチャーズは1959年結成以来、メンバーが入れ替わりながら現在も活動を続ける世界的ロックバンド。1960年代中盤に発表された『ダイヤモンド・ヘッド』や『パイプライン』などの代表曲を挙げるまでもなく、エレキギターを前面に押し出した‘テケテケサウンド’が持ち味で、昭和40(1965)年に行われた2回目に来日公演以降、日本で爆発的な人気を獲得します。
 ビートルズは昭和37(1962)年にレコードデビューを果たした、もはや説明不要の世界的ロックバンドです。昭和41(1966)年に来日し、尾藤イサオ、内田裕也、ジャッキー吉川とブルーコメッツなどを前座として日本武道館で行われた日本公演は、日本中を熱狂させました。その様子は主に日本テレビ系列(愛媛県では南海放送)で生放送され、視聴率は56.5%(関東地区)を記録。まさに、日本中の目と耳をくぎ付けにしました。
 このようなエレキサウンド、バンドサウンドに大きな影響を受けた若者たち。とくに音楽好きの男子学生たちは「学校部活動で吹奏楽を選ばず、ギターへ移行していった。…昭和40年代には吹奏楽部の半分近くが女子部員になっており、昭和40年代が男子から女子への転換期だったと言えるだろう」と言及されるなど、芦原すなおの名著『青春デンデケデケデケ』よろしく、エレキギターを手にバンドサウンドにのめり込んでいきました。

 音楽業界全体でも、ビートルズ来日以降、エレキギターを中心にしたバンドサウンドを武器とするグループが続々とデビュー。ザ・テンプターズ、ザ・スパイダース、ザ・タイガース、ブルーコメッツなどのバンドが‘グループ・サウンズ(GS)’と総称され、人気を博しました。
 一方で、東西冷戦構造の中で揺れる世界情勢の元、昭和35(1960)年の‘日米安保’や、1970年代中盤まで続くベトナム戦争などに影響され‘反戦・反体制’的な思想を持つに至った、政治情勢に敏感な若者たちから熱狂的に支持されていたのがフォークソング。ボブ・ディランなどのアーティストに影響を受けながら、フォーク・クルセダーズ、岡林信康、ジャックスなどがフォークの旗手としてもてはやされました。

 1970年代に入ると、GSブームを牽引してきたグループのほとんどでメンバーの脱退や解散が表明され、GSブームは一気に下火に。反戦・反体制運動も下火となり「ノンポリ」と呼ばれる‘非・政治的’な若者も増える中、思想色の薄い‘ニューミュージック’へと昇華したフォークソングの担い手たちが人気を博します。『結婚しようよ』で全国区の人気を得た吉田拓郎、その吉田を人気を二分し、のちにアルバム『氷の世界』が日本初のミリオンセールスを記録する井上陽水、『神田川』のかぐや姫、などがそれです。レッド・ツェッペリン、ピンク・フロイドなどの舶来の「ロックミュージック」への興味を背景に、日本の‘ロックミュージシャン’も徐々に登場。『風街ろまん』などが歴史的名盤と評されるはっぴいえんどなどが若者たちの熱狂的支持を集め、‘日本語ロック’が市民権を得ていきます。
 
 
 そのような音楽を「見る・聴く」ための装備も多様に進化をつづけた時代でした。
 昭和35(1960)年に放送が開始されたテレビのカラー放送。それに対応する「カレーテレビ」は、カラー放送開始後5年を経た昭和40(1965)年でも普及率は一桁台前半という状況で、お茶の間の主役はまだまだ、白黒テレビでした。
 生産ノウハウの進化により1台あたりの出荷金額が安くなっていき、カラーテレビの価格が平均的な世帯の一か月の可処分所得を下回る金額となるのが昭和43(1968)年頃。白黒テレビの時と同じく、これをきっかけにカラーテレビは急速に各家庭に普及し、昭和40年代の終わりごろ、1974年には普及率が90%に迫るようになります。『8時だョ!全員集合』などのお笑い番組や、『サザエさん』『巨人の星』『ひみつのアッコちゃん』などのアニメを、多くの家庭が‘総天然色’で楽しみました。
 家庭用ステレオに目を向けると、庶民の聴く音楽が、クラシックやジャズなどに加え歌謡曲、ロック、ポップスと多様化するに従い、国内外さまざまなメーカーがそれぞれの嗜好に合うよう、自らの技術を競うようにスピーカーやプレイヤーを発表。1970年代にはより立体的な音響効果が得られる「4チャンネルステレオ」が話題になるなど、‘いい音’を求める技術進化は続き、とくにオーディオ好きの人びとにとっては「どの機材を、どう組み合わせ・調整したら、自分の求めている音になるか」という探究しがいのある時代となりました。
 
 『オールナイトニッポン(ニッポン放送;1967~)』や『パックインミュージック(TBSラジオ;1967~)』『JET STREAM(FM東海;1967~)』など人気を博した深夜番組が軒並み放送をスタートさせたラジオ業界では、高度成長による所得増によりラジオ機器の価格が相対的に低下。「2台以上のラジオがある世帯」が全体の半数以上となるなど、高級品から廉価版まで様々なラジオが市井に普及しました。技術的には、真空管を使ったものからトランジスタを使ったものに主力製品が移行する中で、ラジオ本体の小型化・デザインの多様化も進み、ポケットに入るサイズのものや時計と一体化した「クロックラジオ」など、様々な製品が登場しました。
 
 昭和48(1973)年のオイルショックで‘高度経済成長’が一区切りとなり、バブル期を頂点とする‘安定成長期’へと移行する日本。「一億総中流」と形容されるように、物質的な豊かさを多くの国民が一様に享受する時代の中で、昭和50年代にはアイドルブームやバンドブームなど、多くの音が若者の耳を‘熱く’させることとなります。

参考文献(新規分)


森田信一「クラブ活動としての吹奏楽の変遷―女性進出の視点から―」『富山大学教育学部紀要 No.60』2006
佐々木敦『ニッポンの音楽』講談社現代新書2014
川崎大助(サキは立つ崎)『日本のロック名盤ベスト100』講談社現代新書2015

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