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【先行公開!】昭和30年代(1955-1964) -テレビの普及と憧れのスターたち

 昭和30年代、「音」にまつわる記憶という点で一番のできごとは、テレビ放送の普及と言えるでしょう。
 昭和28(1953)年に本放送が開始され、まずは街頭テレビという形で市井に登場した白黒テレビ。発売当初は、国産第一号のシャープ製14型白黒テレビが当時の価格で17万円(今の価格に単純計算すると、約28倍の476万円!)という超高級品でした。
 昭和30年代に入ってはじまる高度経済成長の波に乗って、白黒テレビの普及率が急激に伸びるのが昭和34(1959)年頃。当時の皇太子・昭仁親王と正田美智子さん(当時)のご成婚パレードを一目見たいと、多くの家庭に白黒テレビが‘降臨’しました。この頃にはちょうどテレビ1台の平均出荷金額(約4万円)が一世帯当たりの月間可処分所得の平均を下回るようになり、一般的な家庭でも頑張って倹約すれば手が届く家電となりました。

 白黒テレビ普及の影響を受けたのが、邦画・洋画問わず隆盛を極めていた映画館。昭和32(1957)年をピークに、昭和30年代前半は年間の映画館入場者数が延べ12億人に迫る勢いだったのが、白黒テレビの普及とともに急減。白黒テレビの普及率が90%を超えた昭和39(1964)年では映画館入場の延べ人数は約4億人、昭和30年代の10年間だけで三分の一に減少しました。
 当時の映画スターは『太陽の季節』『嵐を呼ぶ男』などの石原裕次郎、‘次郎長もの’がヒットした片岡千恵蔵、黒澤明監督作への出演も多い三船敏郎、ヒロイン役を務めることの多かった浅丘ルリ子、南田洋子、そして『キューポラのある街』で飛躍を遂げる吉永小百合など。日活、東映、東宝など配給各社がそれぞれに看板俳優を抱え、競うように新作映画が封切りされていました。
 邦画に劣らず洋画も好調で、『エデンの東』などのジェームス・ディーン、『海底二万哩』のカーク・ダグラス、『戦争と平和』のオードリー・ヘプバーン、『太陽がいっぱい』のアラン・ドロンなど、銀幕スター百花繚乱の時代です。とくに、新居浜を含めた日本の音楽好きを熱狂させたのが、『監獄ロック』など自らの主演映画では主題歌を歌うことも多かった‘キング・オブ・ロックンロール’エルヴィス・プレスリー。今回の展示のために行ったインタビューでも、70代以上の多くの方がギターや音楽にハマったきっかけはプレスリーだ、プレスリーのロカビリーだ、と異口同音に語られました。

 レコード業界に目を移すと、昭和28(1953)年に、録音時間も録音品質も従来のSPレコードに比べハイスペックな「LPレコード」が登場。その後、昭和33(1958)年には日本ビクターが日本初の‘ステレオ’レコードを発売。レコードの溝の左右両側に、ステレオの左・右それぞれの音を収録したもので、機材の買い替えなどをしなくても「立体音楽」が楽しめる、と評判になりました。
 このとき、日本初の‘ステレオ’レコードの新譜として発売されたのは5枚のレコード。チャイコフスキーやベートーヴェンなどに混ざってその「日本初のステレオ」のラインナップに加わっていたのが、「ペレス・プラード楽団」。昭和30年代初頭の日本はアメリカ文化の影響を強く受け、ラテン・マンボ音楽の空前のブームが起きていたのでした。
 高度成長を背景に、レコードの生産枚数が約1,400万枚(昭和30年)から約7,300万枚(昭和39年)と10年間で5倍以上も増加することとなる昭和30年代。レコードを発売するメーカーも増え、映画同様、数々の歌謡スターが活躍した年代です。石原裕次郎、小林旭、フランク永井、ペギー葉山、三橋美智也・・・枚挙に暇がありません。
 
 急速に普及した白黒テレビでは、FMラジオと同じく、雑音に強く高音質のまま音声発信できる音声処理方式が用いられたため、この利点を活かして音楽番組も数多く登場。昭和34(1959)年に放送を開始したフジテレビ系『ザ・ヒットパレード』、ザ・ピーナッツを主役に据えた音楽バラエティ『シャボン玉ホリデー』(1961~)、永六輔作詞・中村八大作曲による「今月のうた」が毎月1曲作られ、坂本九『上を向いて歩こう』などたくさんのヒット曲を生んだ『夢で逢いましょう』(1961~)など、生放送番組で数々のアーティストがブラウン管に登場。お茶の間を熱狂させました。
 映画とラジオが娯楽の中心だった昭和20年代から、テレビ中心の昭和30年代へ。映画やラジオのスターだけでなくテレビからもスターが多様に誕生し、音楽のジャンルも、演歌・歌謡曲的なものからラテンやロカビリーなど外国の流行音楽を日本流に取り入れた音楽まで多種多様。右肩上がりに成長を続ける明るい空気の中で、庶民の娯楽と興味は、急速に多様化してきました。

 昭和40年代では、ついにベンチャーズが2回目の来日公演(昭和40;1965年)を果たして日本中に‘電撃’を走らせるとともに、ビートルズも来日(昭和41;1966年)して、日本中の若者が虜に。GSブームの中で日本の歌謡界が黄金期を迎えます。
 

≪参考文献(新規分)≫


昭和62年版 通信白書

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