単なるマメ知識を超えて
知っても知らなくてもいい情報
最近YouTubeのショートでマメ知識のまとめみたいなものがよく流れてきます。
ちょっとした知識を見て、へ~~~と思う。
人間とは結構そういう行動をとってしまうものです。
そこで知っても知らなくてもいい情報をつまみ食いする。
でもそういうショートの情報って一次ソースではないじゃないですか。
いってしまえば、真偽も不明かもしれない。
二次情報、三次情報、誤情報のインプットはどれぐらい価値のあることなのかと考えてしまいます。
もちろん元情報に必ずしもアクセスできるわけではないので、人づての情報を否定するわけではありません。
自分ならどうアウトプットするか
逆に自分がある情報に触れて、それを他人に伝えるときどう表現するか。
例えば歴史的な古い資料を目にする機会があるとして、
それをどういう風に紹介すればいいのだろうか。
この種のプレゼンテーションが得意な方っていますよね。
専門的な資料を用いて、一般の方の興味を引くような紹介をする。
ただ、面白い紹介をすることに特化しすぎると、
説明が足りていなかったり、誤った知識の伝え方をしたり、
別の問題が出てきます。
学問のアウトリーチの難しさもそこにあると思います。
以前、ゆる言語学ラジオの記事を書きましたが、
おもしろさと、正確さのバランスを考えながら運用しているの本当にすごいと思います。
一次情報を大事につなげる
私は文系の博士の院生なので、
たくさんの文献資料に触れる機会があります。
どの文章をとりあげるべきか、どのぐらい情報を取り入れるべきか、
一次資料を前に、考えることがすごく多いです。
研究ということに限らず、
この能力って人間として大事だなと思います。
映画を観て、感想をどう伝えるか。
本を読んで、どう紹介するか。
料理を食べて、どう感想を述べるか。
一次資料を知らない人相手だと、自分の言葉でその印象が決まります。
あんまり具体的なレポ書いてないですが、
noteでそういうことを意識した記事も書いてみたいですね。
お読みくださりありがとうございました。
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