卒業式は雨
中学校の卒業式に、私は行っていない。
当時茨城の田舎に住む不登校学生だった私は布団にこもって、いろんなことから自分を遮断していた。
母親が「本当に良いの?」と聞いたけれど私は「別に良いよ」と断った。
その日、庭に植えてある桃のつぼみは固く閉じたまま晩冬の冷たい雨に降られるのを耐え忍んでいる。
「せっかく先生たちも気を遣って仲いい子たちだけであんたの卒業を祝おうって言ってくれたのに」
「今更いいってば」
その仲がいい子たちのなかには私が失恋した(と、当時私が一方的に思っていた)女の子もいるだろうという事は予測がつく。
いまあの子の顔を見るなんて自分の傷に自分で塩を塗るようなものなのだが、それを母に言う訳にもいかずただ面倒だからと言い訳をした。
「わたしはあんたのさいかうになれないんだね」
母がそうぽつりと呟いた。
さいかう、という耳馴染みのない言葉の意味を問う間もなく「卒業証書取りに行ってくる」と言って出ていった。
なんとなく気になって≪さいかう≫とパソコンの検索画面に打ち込んでみると、それは≪催花雨≫だと答えが出た。
花に早く咲くように急き立てるように降る雨を、昔の人はそう呼んだという。
娘という花のつぼみを早く咲かそうとする母の急き立てる言葉は、なるほどこの季節の冷たい雨に似ていると思う。
そうして今も母は私の催花雨として、ここにいる。