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辛い記憶を幸せな記憶で上書きする話
辛い記憶の景色を、新しく幸せな記憶で上書きしたいって思ったことありませんか。
いつのまにかなんですが、私はよくそのことを意識するんです。横断歩道は白いところを踏まないで歩く、みたいな密やかなマイルールです。
別に、上書きするためにわざわざその場所に行くわけじゃないんですが、上書きされると「あー、浄化された」って、ひと安心するんです。正月、そんなことがあったので書いてみます。
2019年の元旦。初詣は日付が変わってすぐに近所の神社で済ませたので、起きてから彼氏Aさんと、おでんとマグロと日本酒で乾杯。午後を回ったところで新年初の散歩に出かけたんです。
それでニコタマで電車を降り、高級住宅街の岡本方面に向かってなんとなく散歩してたんです。
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家族で初詣に行く人、帰る人、同じように散歩する人々に混じって歩いて、のどかな新年初日を満喫してたら、Aさんが急にトイレ行きたいと言い出して、、、(いつも急~💧)
住宅街なのでトイレなんかないじゃないですか。それでグーグルマップを見たら、ちょっと歩いたところに砧公園がある。
「砧公園まで、、、耐えられる?」
「耐えられる!!!」
的な感じで、いそいそと砧公園へ。そこで「あ」と思い出したんです。
以前、私は砧公園の近くに元夫と住んでいて、仲が良かった頃はこの公園を二人でよく散歩していました。その後相手の不倫が発覚して、もめにもめた挙句私から家を出て行った、出ていく時もこの公園を通って新居に向かった、そういう場所なんです。
もちろんこのへんを散歩しようとなった時点で、「そういやあのへんに行くのは、あの時以来だな」と自覚してはいたんですよ。ニコタマには元夫と自転車で来たりはしていて、岡本も通り道だったんで。ずいぶん過去のことだし、今更イヤな思い出を蒸し返すこともないと。それに砧公園はとても広く、私が住んでた側は公園の逆方向で、岡本側はそこまで馴染みがない方だったんです。
それが、世田谷区ならだいたい見える環八沿いの白と青の模様の煙突が見えて、首都高のガードをくぐって渡って、その先が砧公園、というところで「そうだ、あの時の場所だ」って、急によみがえってきたんです。
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夫が自分の不倫を棚に上げて「そもそも、もともと離婚したかった」と私に告げ、だんだん家に帰って来なくなった頃。夫婦で楽しく過ごしていた週末が急に、私にとって持て余す膨大な独りの時間となってしまったわけです。
そこで、独りでよく自転車で砧公園や、岡本を通ってニコタマに行っていた。そして、独りで家に戻るのも苦痛で(だって、私がいるから家に帰れないっていうんですよ。自分の存在をそこまで嫌悪忌避されるのは堪えました…)、二人でバドミントンとかした思い出のこの公園の広場で何度かぼーっと、放心状態で座っていました。
心理的に追い詰められて、ものの味がしなくて、体重も8㎏痩せたけど友人に指摘されるまで気づかなかった一番苦しい頃です。
初めて不倫を知ったとき、弁護士に言われて証拠として写真に撮った夫と相手とのメールのやり取りをあのベンチで、読んだ。一緒に行った温泉で出た朝食の何々が美味しかったね、とか、生理が来ない、とか書いてあった。周囲では家族連れが楽しそうにバドミントンで遊んでいて、その中で独りあれを読んでいた。
私、今こうして書いていても胸が苦しい。
私は周囲に夫に別れを切り出されたことを数ヵ月、打ち明けられなかった。打ち明けると既成事実になってしまう気がして。ニコタマで大学の旧友と久々に会って楽しく話したときも、当時の友達には悪いけど心ここにあらずでランチの味もしなくて、やっぱり砧公園のここで座っていた。今、彼女とどこかでまた会ってるんだろうか。今日も帰って来ないんだろうか。どうしよう、どうしよう、どうして、どうしてって、そればっかりぐるぐるで。
Aさんにそのことを言った。あまりいい思い出の場所じゃないんだと、かいつまんで。
「そうだったの? 悪かったね、そんなところに来て」
いいの、全然。今、こうしてAさんと歩けているのだから。トイレダッシュだけど(笑)
公園内をぐるっと散歩しようか、となったけど、元・家があった方へはやっぱり行きたくなく(砧公園に罪はない。ごめん、砧公園)、歩いて用賀から電車で帰ることにした。公園を出て、環八沿いを歩きだす。そこで、交差点のマックを見つけた。
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あー。あのマックだ。また思い出した。
週末、家に帰っても誰もいないし、友達と会う気がしないし、バーで飲むとかもできない(元々独りのみしない)し、そういう余力がない。けど家にはいたくない、実家にも行けない。と、近所のこの交差点のマックでコーヒーだけ頼んで、一日中。何してたっけな・・・
そうそう、現実から逃れるように、応募する小説を書いていたっけ。(その小説は投稿生活史上初めて一次で落ちた。心が健康でないと書けないのかもしれないですね)
周囲はやっぱり子供連れが多くて、子供を持つ人生、母親になる道が今まさに遠ざかりつつあった私は心がつぶされそうだった(今思えば、わざわざ家族連れの多いとこに行かなきゃいいのに・・・気がおかしくなってたんでしょうね)。
マックの2階からは交差点と歩道橋が見えて、私はきっと死んだ目で、そこを渡る公園帰りのカップルや、夕暮れになるに従って増える赤や黄色のテールランプをただ、見ていた。暗くなって、心も沈んでいった。もう、前の結婚のことは忘れたけど、このマックにいた日の苦々しさは忘れないと思う。
その、死んだ目で見ていた歩道橋を8年後の今日、Aさんと渡った。Aさんはまた「そんな思い出のところに来て悪かったね」と言ったけど、私は言った。「Aさんと今歩いて上書きされたから大丈夫」。Aさんはわかったようなわかってないような反応だったけど、いつか感謝とともにちゃんと伝えたい。
そしてあの頃の私に教えてあげたい。大丈夫、少しの我慢。何年か後で、ちゃんと自分を思ってくれる人を自力で見つけて、その人と時々喧嘩しながらも手を繋いで、そこ歩くようになるよって。笑いながら一緒にトイレダッシュすることになるって。
マックの後ろに見える大山の稜線に、夕日が沈んでいった。明日は箱根駅伝、大手町からあの山の向こうの箱根を目指して若者が走る。
Aさんも大学時代や仕事で用賀やこのへんの環八には馴染みがあるようだった。たしか3Mの会社(ポストイットとか出してる会社)があった、それはこの先だ、いや反対側だと言い争い、コーヒーを賭けた。
3Mはなくて、代わりに大きいニトリがあった。大掃除でバスタオルを入れるケースを買おうとなって、ちょっと物色した。テールランプが流れる環八を手を繋いで歩いて、住宅街を歩いて、用賀に出てうちに帰って手巻き寿司でまた乾杯した。ああ、あの場所は私の中で浄化された、と思った。
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ふんぎりがついたので書きました。Aさん、ありがとう。