「子どもがいる人は毎日洗濯してるよね」
お互い働いて疲れて、ようやく一息ついた貴重な日曜日の午前中に放たれた夫の一言で、何かが決壊してしまった。涙と、言葉が止まらなくなった。
「金曜に洗濯したのに今日また洗濯か~」と私がちょっと愚痴ったら、夫が放ったその一言。
「子どもがいる人は毎日洗濯してるよね」
「私はまだ甘いといいたいのか」
「子どもいなくて悪かったな」
「子どもいるほうが偉いのかよ」
「平日、行ってらっしゃいと送り出して、夜、ご飯と風呂を用意してお帰りで迎えてる。あなたの帰りが数時間遅い分、家事頑張って支えてるつもりだけど。あなたの中では、妻として当然の無償労働扱いなの?」
「私、働いてないことになってるの? 私の年収●万、どこに行ったん?」
夫はぽかんとし、またなんか地雷を踏んだと悔い、私のヒステリーをやり過ごすのを待つ表情。
ヒステリーじゃないっちゅうねん。家事分担しないなら、せめてそういうこと言うなと、百歩譲ってそう言ってんねん。
それでそう夫を責めながら、「働いて疲れた夫に家事分担を要求する無粋な妻」「夫婦は支え合い。ギブ&テイクではないのにそういうこと言っちゃうんだ~」という反省を内面化しちゃってる自分にも腹が立つねん。
確かに、「子どもいる人は毎日洗濯してるよね」と一言言っただけで大量の呪詛を投げつけられた夫は魔が悪かったな、と思う。そこは、ごめん。でもこういう働く女を下げて家庭に入った女を上げるムーブ、もううんざりするほど受けてるんだよ。
ここ数週間、私も仕事で結構な山場が続き、精神的になかなかきつい時期だった。引き継いだ不慣れな仕事(インボイス業者への支払い関連とか)、数十人のズーム全国会議運営と発表、連載の先生とのやり取り、カメラ持参の取材と執筆、集まらない投稿対策、テレビで引っ張りだこで多忙な人への著者校催促、特集制作、ギスギスの人間関係……。
山場がある旨を夫にも言っていた。でも、夫のほうが帰りが遅い(私のほうが通勤時間が短いのもある)。疲れた夫が癒されるように頑張って閉店前のスーパーに駆け込み、家事をした。部屋が荒れないように、栄養偏らないように、がんばった。これは自主的にやったことだ。強制はされていない。
自分も仕事が大変だったけどほめられなくていいし、夫がそれで幸せならいい。愛ですよ、愛。
でも、ちょっと愚痴ると「子どものいる人は毎日やっている」。そうですか、私はまだまだですか。
……じゃねーよ!
どの立場でものを言ってるんすか?
大残業で帰ったら箸ひとつ並べてくれなかったあなた。分担してほしいと言うと「そんなに大変ならごはん準備しなくていいよ」と言うあなた(私のごはんは誰が用意するん?)。「共同生活が向いていないんじゃない?」と言い放ったあなた。
なぜ「自分がパートナーを支える」という発想はなく、自分ができていないことを相手にフォローしてもらっているという感覚もなく、一方的に相手を評価・査定できると思ってるのですか?
つまり、私の「仕事大変」は単なるアピール、「実際はそんなに大変じゃないよね」って言外に言ってるんですよ。「俺の仕事のがちゃんとした仕事。お前の『大変』と俺の『大変』を一緒にするな」って、雄弁に語っちゃってるんですよ。
怒りというよりは、悲しい。家事どうこうより、パートナーに自分の仕事部分を軽視されていることが。他の無神経な人間と同じ物言いをほかならぬパートナーからされることが。
はっきり言って、こういう言動には悲しくも慣れている。だからせめて、パートナーには分かっていてほしかった。パートナーの理解が、今の私の心の支えだ。それなのに。
あえて主語大きく書くけど、子無しで働く女は、自分は何も言っていないのになぜかこういう「半人前ですよね」ムーブをかまされることがある。特に男に。いや、女もか。「まだ子供産んでないから分からないよね」「介護しなくていいあなたは全然甘い」とか言われたな。
働いてるだけの女って、何かいっちょかみしたいような何かがあるんすか? 自分の満たされない日常の不満をぶつけやすい存在なんすか?
主婦や子育て中の人もうんざりするほどこういうこと言われてるだろうから、これは「働く女 VS 主婦」とかの話ではない。
いろいろ飲み込んで頑張ってる人に、わざわざ心折れることを言う心境が分からない。
せめて余計な事は言わないでほしい。黙っててくれ。
夫も「うっかり」なんだろう。私もそんなに疲労がたまっていなくてご機嫌だったら、受け流していただろう。でも、最適解が「言われた側が受け流す」ことではないことは、声を大にして言いたい。ヒステリーの更年期ババア扱いしたいなら、どうぞ。私は私の人生の時間を確保しなければならない。私にはやりたいことがあり、もう五十を超え、長くはないのだから。