「プチ・ブル」 米澤穂信『春期限定いちごタルト事件』:創作のためのボキャブラ講義57
本日のテーマ
題材
「小市民にとって、一番大切なものって、小鳩くんはなんだと思う?」
言下に答えた。
「現状に満足すること」
しかし小佐内さんは、ゆるゆるとかぶりを振った。
「小市民にとって一番大切なのは……、私有財産の保全ってことにしたら?」
(190ページ)
意味
プチ・ブル
プチブルジョアの略。いわゆる中産階級。ブルジョアとプロレタリアートの間に位置する。意識の上ではブルジョア的なプロレタリアート。蔑称としても用いられる。
解説
作品解説
本作『春期限定いちごタルト事件』については前回説明したので手短に。己の不遜な性分を直すため互恵関係を結び、小市民たれと邁進する高校生の小鳩くんと小佐内さん。しかし小鳩くんの前には小賢しい謎解き性分を刺激する事件が多く発生する。そして小佐内さんは……。
入学早々自転車を盗まれ、楽しみにしていたいちごタルトは自転車と一緒に消失。帰ってきた自転車は壊れてしまっていた。ついに我慢の限界にきた小佐内さんは自身の「狼」としての性分、つまり復讐を楽しむ気質をさらけ出してしまうという場面。
小市民たれ
小市民という日常の謎を扱うライトミステリではおよそ聞かないような単語が本作のキーワードとなっている。小市民とはつまり辞書的には「普通の人」「市井の人」を意味するもの。おそらく小佐内さん的にもプチブルジョアが意味する労働階級意識はあまりなかっただろうと思われる。
まあそもそも、自分たちが小市民を目指す=一般人ではないという認識自体が傲慢ではあるので、その辺のツケはお互いきっちり夏に支払う羽目になるわけだが。蔑称としても用いられうるという単語のニュアンスはむしろ彼らにとっては好都合でもあっただろう。
探偵が謎を解くことは無謬ではないという話を作者の米澤穂信はたびたび書いており、〈古典部〉シリーズでは『愚者のエンドロール』が該当する。そして作者の趣味なのか、探偵が謎を解くことで生じる痛みを負うのは探偵自身である場合も多い。探偵の無謬性に対する指摘はミステリジャンル内では時折行われており珍しいというほどのことではないが、それを思春期の子ども特有の万能感と通底させたところが作品の肝でもある。
ちなみに彼らが小市民を目指すきっかけとなる事件は『冬期限定ボンボンショコラ事件』で描かれており、『秋期限定』とともにアニメ化の予定。夏期を経た彼らがどういう物語を描くのかは、必見の価値ありだ。
情報
米澤穂信『春期限定いちごタルト事件』(2004年12月 東京創元社)