「ナフタリン」 辻真先『仮題・中学殺人事件』:創作のためのボキャブラ講義09
本日のテーマ
題材
男女共学なんて、黒アリの群れへ白砂糖をほうりこむようなものと思ってるママは、だから、およそ愛だの恋だのに縁のなさそうな薩次を信頼していた。キリコのママには、薩次が、ジャガイモじゃなくて、虫よけのナフタリンに見えるのだろう。
(第一話・仮題)
意味
ナフタリン naphthalene
コールタールから得られる無色または白色の結晶。合成染料、合成樹脂の素材の他、以前は衣類防虫剤として用いられていた。
解説
作品概要
「犯人は、読者であるきみだ!」
筆者が持っている東京創元文庫版の本作の帯にはこういう煽り文句が書かれている。探偵が犯人、語り手が犯人などなど、常に読者の予想を裏切る作品を作ることを至上命題とするミステリは、こういう突拍子のないことをすることが多い。
無論、予想外ならなんでも許されるというわけではない。とどのつまりミステリも読者ありきの趣味的な芸術であるから、読者の予想を超えすぎると途端に「それはなしだろ」となってしまう。読者は予想外を求めるが、我儘なことにその予想外とは、読者の予想の範囲内でなければならないという矛盾を抱えているのだ。
本作は桂真佐喜という中学生ながら推理小説作家として期待されている少年と、彼の想い人である加賀美清子の物語が展開される。その一方、桂の書く推理小説として作中作で可能キリコと牧薩次、二人の中学生が直面する事件を描く物語が挿入されるという構図になっている。この構図が「読者」という予言された犯人を特定する上で重要な意味を持つのだが、それについてはネタバレになるので各自確認してほしい。個人的には「犯人は読者」と想定する上で確かに「読者」の内訳を考えるべきだったなとは思いつつ、とはいえこの犯人を想定するのは姑息というか、ちょっと違うんじゃないか的な印象は受けた。
題材となるシーンは作中作の方。冒頭のキリコと薩次の紹介場面である。年頃の中学生であるキリコに対しよく一緒にいる薩次だが、キリコの母親(文中の「ママ」のこと)が彼に対し警戒心を抱くどころか気に入っているらしい様子を描写しているシーンだ。
言葉の意味
ナフタリンとは化学物質の名称。様々な用途で用いられるもののようだ。まあ筆者は典型的な文系だからよく分からないんだけど。いや理系でも知っているとは限らないか。
用途の内、ここで重要となるのは衣料用防虫剤としての使用だろう。作中で薩次がナフタリンを用いて例えられているのも虫よけとしての側面である。つまり年頃のキリコに草食系の薩次をあてがっておけば余計な男、つまり虫を避けるにちょうどいい、とママは思ったわけだ。
時代的例え
こうした比喩に用いられるものは作者の生活感や時代に大きく左右される要素だ。面白い部分である反面、よく制御しなければノイズとなって読者の集中力を乱すので塩梅は常に難しい。
本作の刊行は1972年とのことなので、ナフタリンも当時は防虫剤としてメジャーなものだったのだろう。現在はパラジクロロベンゼンなどに代わられているらしいが、その違いはよく分からない。少なくとも現在は、虫よけという意味の比喩でナフタリンを使用することはまずないだろう。
じゃあボキャブラリーとしてそんな言葉を収集する意味なんてないじゃないか、と思われるかもしれないが、まあそれも含めて集めておくと役に立つかもしれないというものを集めておくのがこれなので。
情報
作品情報
辻真先『仮題・中学殺人事件』(2023年4月 東京創元社)
※新装版。改定前は2004年4月初版。