『ゴールデンカムイ』作者はマイノリティをテーマにした作品をどう考えているのか:創作のための戦訓講義51
事例概要
発端
金カム映画、昨今の「マイノリティ役はルーツの俳優」という流れに対しての野田サトルのアンサーが完璧すぎるものだったの
— 朝ごはんはヨーグルト (@kisyouharokuji) January 19, 2024
闇雲に起用しているわけじゃないんだよね pic.twitter.com/iiA9TmLNyp
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※『ゴールデンカムイ』実写映画のキャスティングに関して、作者の野田サトルの発言。
※コメントの引用先は上記記事と思われる。
明らかに問題がある
「○○ルーツの方は本来△△が多いから△△して貰おう!」が適材適所言うてたらそれこそ差別じゃないか?
— トリトリルンルン (@tori_run2) January 20, 2024
出身で役割を決めたの…?そんなわけないでしょ、下手な言い訳にしか聞こえない https://t.co/RZAkxNnS7U
たとえば9割白人役者の映画を撮るにあたって原作者の白人が「黒人の方は役者業よりも農業に従事されていることが多いので、そちらの農家の野菜を使ったお弁当を撮影現場に取り寄せました。適材適所で映画を作っています」って言ったらだいぶアウトだよな……と思った https://t.co/gOI1ciOgEY
— 上楠 木ノ子(あがりくす きのこ) (@kinoko_enfys) January 20, 2024
金カムの件、ハリウッド映画で「日本人は手先が器用だから小道具係として採用し、映画中に出てくる日本人役は白人がドーラン塗ってやった」みたいなこといったら大炎上不可避だろうに。
— 三毛招き (@mikemaneki) January 20, 2024
※アイヌルーツの人間をアイヌ系の登場人物の演者に当てることについての指摘。ここ最近は演技の世界全般でマイノリティの役をマイノリティ自身が演じることが重視されているという流れに関連して。
※野田サトルは「適材適所」と言っているが、差別によく用いられるレトリックである。
※「アイヌルーツの方々というのは、役者業ではなく、工芸家として世に出ている方が圧倒的に多いので」というのもステレオタイプの温存に過ぎない。
マイノリティの演者は確保できるのか
『本来、役者業ではなく、工芸家として世に出ている方が圧倒的に多い』
— どろあし (@miomaru) January 20, 2024
・当事者キャストを、すでに世に出ている人物から選ばなくてはならない理由はない。
・アイヌがルーツを明らかにして『世に出る』場合に、工芸というアイヌ文化を専門とする場が『圧倒的』に多いのは、→ https://t.co/A26ZZuWH75
ディズニーが「モアナ」のために南太平洋系の俳優を探しに探して、でも見つからなくて、それでも粘ってハワイのほぼ無名だったアウリイ・クラヴァーリョを見つけた話を思い出した。 https://t.co/0CxkZ82KuN
— 堂本かおる (@nybct) January 20, 2024
ネイティブアメリカンで聴覚障害者で義足でアクションができる俳優ってすごいな…と思ってたらオーディションで発掘された素人だったのか。ますますすごい。「マイノリティ役をマイノリティに」って話に「そんな役者いないじゃん」的な反発が出がち(特に日本だと)だけど、探せばいるってことだよね… https://t.co/YmOlLoZYTc
— Mayo "SEN" Naito⚡ (@SEN1227) December 21, 2021
※アイヌルーツの演者は既存の演者から探す必要はない。
※意外といる。特に本作のようなマイノリティの文化が中心となる作品では一定程度探す必要があるだろう。
※いないなら「いない」という事実自体に目を向ける必要がある。
他にも影響が
ゴールデンカムイ自体の評価とは別に、こんなズレたことを真に受けて肯定し合う作者と鑑賞者の間でゴールデンカムイという性質の作品が共有される事自体がまあまあ厄いんだよな……。 https://t.co/hxNXrtqYtT
— 紅藍@カクヨムで新作『偽王子事件』連載中 (@akaai5555) January 20, 2024
※マイノリティが中心となる作品のファンがマイノリティの演者を起用することの社会問題をまるで理解していないのは怖くない? という話。
私の知る限り、複数人のアイヌが嫌ってる。
— マユン (@marewrew_m) January 20, 2024
>千葉大学名誉教授の中川裕先生と再会した際に、おっしゃっていたのですが「自分が知る限り『ゴールデンカムイ』を嫌いと言っているアイヌはいない」とのことでした。⁰若いアイヌの方たちにも非常に良い影響を与えていると。https://t.co/nEPKveOO0c
※自分たちに好意的なマイノリティしか見えてない状態になっていないか、という危惧。
個人見解
マイノリティの役をマイノリティ自身が演じることにはいくつかの意味がある。ひとつはシンプルに雇用の機会均等の側面だ。もとよりマイノリティは種々の事情から華やかな職務に就きづらい部分がある。その上で、マイノリティ自身と同じ属性の役すらマジョリティに取られていたら、いつまでも仕事にありつくことはできない。
ひとつはマイノリティの演技をマジョリティがすることは、マジョリティが持つ勝手なマイノリティ像を押し付ける結果になるかもしれないということだ。白人が黒人に抱くような戯画化、低脳化かもしれないし、それこそ倭人がアイヌに抱くような神聖視かもしれないが、いずれにせよマジョリティが制作し、マジョリティが演じ、マジョリティが監督する作品ではマイノリティのステレオタイプを修正する暇がない。
そもそも「マイノリティの役をマイノリティに」というのはそうした雇用機会や作品がマイノリティのイメージに及ぼす影響に関する問題意識に端を発しているのであって、誰も映画が演者だけで構成されているなどと思ってはいない。あくまで表に出る演技という部分に関しても問題提起だ。それを無視して「一歩深い考えで」とはなかなか片腹痛い。というか、きらびやかで目立ちやすい表の世界をマジョリティが独占し、マイノリティは「適材適所だから」と裏方に押しやるのって普通にダメなんじゃ……。