グッポン(국뽕)という愛国ポスターの概念:創作のための戦訓講義115
事例概要
発端
※大阪万博のポスターについて。韓国でも類似する広告物があり、それを評する概念が言葉として存在するようだ。
※ひどい例。ここまで来るとギャグ。ストリートファイターのキャラ選択画面か?
概念があるということは
※評する言葉があるということは自覚があるということ。自覚症状のない方が重症か。
個人見解補足
愛国者の考えることはだいたい同じなんだなと改めて思わされるポスターだ。まあ実際、日本と韓国では愛国精神を煽る側が同じ陣営、というのもない話ではないが……。
しかしどうしてこう、構図や配置をガン無視してとにかく並べるようなものになるのかは気になるところだ。愛国者が自身の評価と国の評価を同一視していることと関係があるのだろうか。同一視しているから評価されるものを並べれば並べるほど陶酔感が増すとか? 少なくとも客観視の能力の低さが原因だろうことは想像がつく。