米澤穂信『冬期限定ボンボンショコラ事件』に関連する思索のきっかけ:創作のための戦訓講義81
事例概要
なぜ謎を解くのか
なんでミステリってさ、分からないことがあったら調べて謎を解こうとするんだろうね。どうしてさしたる関わりもない他人の人生に首を突っ込んで回るんだろうね
— 琴瀬美沙 (@K_misa_maguro) May 5, 2024
根本的な点に引っ掛かりを覚えるようになってしまった
謎解きどころか何も問題が解決しないままいきなり終わる作品、先の展開を予想しながら読んでもほとんど期待を裏切られる上に予想が当たったからといって楽しいわけでもない作品、自分の人生にも他人の人生にも積極的に介入することをしない、また介入する力を持たない人物の物語。ミステリの外側。
— 琴瀬美沙 (@K_misa_maguro) May 5, 2024
ミステリというジャンルの外の作品を読むことに慣れてからミステリに戻ってきたら、ミステリというものがたくさんの約束事によって様々な条件を整えた上で成立している極めて人工的な物語だということがよく見えるようになったといいますか
— 琴瀬美沙 (@K_misa_maguro) May 5, 2024
ミステリだったら絶対に見逃さないようなものや人がいても無視していいジャンルはあるし、ミステリだったらいちいち取り上げないような点を主眼に語る小説もあるんだな
— 琴瀬美沙 (@K_misa_maguro) May 5, 2024
刑事や探偵役が聞き込みをしている場面で、どうして彼ら関係者や情報提供者は他人に理解できる話し方のできる人ばかりなのだろう、またそうでない人が出てきた時は特殊事例であったり捜査を攪乱する要素と決まっているのはなぜだろう、と本気で疑問に思う
— 琴瀬美沙 (@K_misa_maguro) May 5, 2024
ちなみにこういう思考になった時に読んでいた作品は
— 琴瀬美沙 (@K_misa_maguro) May 5, 2024
有栖川有栖『鍵の掛かった男』
米澤穂信『冬期限定ボンボンショコラ事件』
でした。小市民シリーズで引っ掛かってしょうがないのは仕方ない気もしますが…… https://t.co/O2U9OA7LFD
※なぜミステリは謎を解くのか。探偵は他人の人生に首を突っ込むのか。
※『冬期限定ボンボンショコラ事件』および〈小市民〉シリーズのひとつのテーマが、探偵役である小鳩くんの解きたがりの性質にある。
Thisコミュニケーション、確かにそういう話かなと思うんだけど、(完全にこちらの勝手な事情なんだけど)今ちょうど(冬期限定~の刊行を受けて)小市民シリーズの感想考え続けてる所に流れてくる話として、酷い交通事故起こしてるのか、良い感じの視点の一助になりでもするのか微妙な話だな。 pic.twitter.com/hD1Y8WoHqF
— 相楽 (@sagara1) May 3, 2024
※それに関連する事柄として。漫画を読んでいないので分からないが。
探偵の課題
小市民シリーズ、日常の謎の探偵として小鳩くんが常に抱える問題が「頼んでもないのにしゃしゃり出てきて解決しようとしてくる探偵うっとおしくない?」なので、まさに冬期限定はそういう話としての決着でもある。ただこういう探偵の課題は、良くも悪くも2000年代のものでもある。
— 紅藍@カクヨムで新作『偽王子事件』連載中 (@akaai5555) May 6, 2024
そら小市民シリーズはその時代から続いたものなのでそれが課題になるのは当然。現代においても探偵のうっとおしさは、特に謎を解く必然性と性急さが薄い日常の謎ではテーマになり得るんだが。とはいえ今現在の地点でそれこそ小市民シリーズのようなミステリをやるなら、テーマ性は大きく変わりそうだ。
— 紅藍@カクヨムで新作『偽王子事件』連載中 (@akaai5555) May 6, 2024
シンプルに作品の独自性というだけでなく、真実と追及、探偵の無謬性と問題点の持つ意味がだいぶ違ってきているので。
— 紅藍@カクヨムで新作『偽王子事件』連載中 (@akaai5555) May 6, 2024
※〈小市民〉シリーズは2000年代初頭の作品なので、テーマ設定もその時代に依る部分がある。
個人見解
なぜ探偵は謎を解くのか。謎……つまり他人の人生に深く根差す事象を解き明かすのか。真実を明かすといえば聞こえはいいが、必ずしも謎を持つ人間がその解き明かしを求めているとは限らない。謎が殺人事件で、探偵役が刑事なら仕事で済むが、日常に横たわるちょっとした不思議で、探偵役が一般人ならばわざわざ解決する必要はあるのか。その権限はあるのか。
探偵の無謬性は既にジャンル内で多く批判されている。それをいちいち取り上げはしないが、少なくとも現代とそれ以前で「無謬性」の意味合いが少し違うのではないかと考えた。つまりこれまでは探偵の無謬性とは「謎を解く行為」についてであり、前提として探偵は真実をきちんと明かすものだということは疑われていなかった。現在ではそもそも、探偵の明かした真実が本当に真実か、を疑問視する意味での「探偵の無謬性」を提唱してもいいかもしれない。
世の中にはパソコンかスマホの画面とにらめっこしているだけで真実を解き明かした気になっている人物が多い。彼らは「謎を解く行為」の持つ問題から目をそらすという意味で従来的な「探偵の無謬性」に乗っているが、同時にそもそも彼らのそれは真実ではない、という重大な問題を抱えているわけだ。
〈小市民〉シリーズで小鳩くんが解きたがりの性分を押さえて小市民たろうとしたのはまさに、従来的な探偵の無謬性への批判という、ファンダムの視座がメタ的には存在している。一方、その中で確かに「解き明かしたものは真実である」という点は前提として存在している。2000年代初頭の作品であり、長い年月を経て終幕を迎えた作品を経由したからこそ実感する、探偵の課題の変遷だ。