「伏線」の責任回避的読解:創作のための戦訓講義68


事例概要

発端

※「伏線」と呼ばれるものについて意味が拡散しているのではという指摘。

反応

※作品で提示される様々な情報の要素がひとまとめに「伏線」と呼ばれがち。

※それ伏線じゃないだろというものまで伏線呼ばわりされることが多い。

さらに具体例

責任回避傾向1

責任回避傾向2

個人見解

 やや露悪的な見方ではあるが、考察動画という他人の創作の勝ち馬に乗るような産物や、なろう系などへの醜悪な誹謗中傷「レビュー」など、ここしばらく……といっても十年くらい以上のような傾向を感じている。つまり創作物についてはとやかく言いたいが、発言の責任は負いたくない、というタイプの人間だ。

 これは創作物に限らずあらゆる面で見られる。まあある程度は、ネット上でのエチケットというか、誹謗中傷でいきなり訴えられないための処世術的な側面もあるだろう。ただ従来「あくまで私見です」という体裁で処理されてきたそれらのエチケット的所作が、さらに一歩進んで「あくまで作者の描いたままを言っているだけです」というニュアンスになっているのかもしれない。「伏線回収」を語る人たちにその意識はないだろうが。

 ともあれどことなく気味が悪い「伏線」まわりの変な使い方だが、個人的にはこうした責任回避傾向で説明できると気づいたのは収穫だ。まあネット上で多く語られる中で、他の単語もそうであるように意味が拡散しただけ、という線も大いにあるわけだが。

 伏線回収が口癖の人たちにその単語を禁じて作品を語ってもらったりしたらまたなにか分かるだろうか。

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