「伏線」の責任回避的読解:創作のための戦訓講義68
事例概要
発端
【よく認識違いがある『伏線』の話】
— オタクペンギン(社長) (@NovelPengin) March 16, 2024
伏線って最近だと、作中のどこか(表紙や扉絵も含む)にさり気なく、匂わせに見える何かが書かれていた時とかに伏線かな?って言われたりしますが、本来は物語の展開を突飛なものに感じさせないために、そういうことかと納得させるためのものでは?という↓ pic.twitter.com/w1eFweDgUt
※「伏線」と呼ばれるものについて意味が拡散しているのではという指摘。
反応
何らかの意図を絵の中のシンボルから読み取ることを前提にする。というのは伏線ではなくて寓意(アレゴリー)に近い解釈ではないかと思う。寓意というのは16世紀から17世紀に描かれた静物画などを「〇〇は死の象徴」「▲▲は富の象徴」みたいに読み解く方法のことで物語の筋立てとは別モノ。 https://t.co/LvdmjiWBYx
— 鷹見一幸 (@takamikazuyuki) March 17, 2024
これって「読者がフラグに気づくポイント」か「作中キャラが真実に気づくポイント」かって話? https://t.co/bwIDwiDEcE
— 汀こるもの@探偵は御簾の中 (@korumono) March 17, 2024
遊び心とか緻密な設定ゆえに明確に語られない背景情報が漏れ出てくるのは消費者としては楽しい要素ではあるし、それがその世界の構成要素になっているなら考察は捗るけど、それは必ずしも伏線ではないよねとは思う。 https://t.co/LclrZykWmd
— 結城拓哉 (@TicTacYah) March 17, 2024
※作品で提示される様々な情報の要素がひとまとめに「伏線」と呼ばれがち。
『伏線』はストーリーにかかる線(話の筋道)なので、ストーリーに含まれた上で予め伏せられていなければいけない。
— 弱之介 (@jacknoscape) March 17, 2024
表紙に小さく書かれてたりするものは『チラ見せ』とか『匂わせ』。
全然伏せられてないものは『前フリ』。
タイトル回収などをありがたがる傾向が生まれたからか判定ガバってる。 https://t.co/H32yTaIaVJ
あとキャラの性格描写とかも「伏線」扱いされたりすることはあり(確かに意外な過去が隠されていたりする場合は伏線でもあるのだが)、ちょっと伏線概念が広がり過ぎてる感はある。 https://t.co/G3vh4tcuUo
— みかげ (@mikage_rabukage) March 16, 2024
※それ伏線じゃないだろというものまで伏線呼ばわりされることが多い。
さらに具体例
「作中で明らかに謎として示されてる要素の真相が明らかになったのを伏線回収とは言わない」、バタピーさんが言ってる度に「そうなの?」ってなってたけど、アレか、ミステリで金田一が犯人を突き止めても伏線回収にならない感じかと今わかった
— マルチェロ (@Marcello0424) March 17, 2024
解決編で明らかになる「犯人が〇〇だと暗に示していた描写」とかは伏線て言えるけど、犯人が明らかになること自体を伏線回収とは言わない。というのはわかりやすい例えですね
— 違法バタピー (@batapys1) March 17, 2024
ワンピースでいえばずっと存在を仄めかされていたベガパンクが登場したこと自体を「伏線回収」て言われるとそれは違うやろ…てなるけど、ベガパンクの異名が「世界最大の頭脳」って言われてたのが実際に頭脳のサイズが世界最大だったのは伏線回収て言えるよね、みたいな
— 違法バタピー (@batapys1) March 17, 2024
ワンピ、バラティエ編あたりで存在が示されてたジンベエが10年越しくらいに本編で登場したことが「伏線回収」とか言われるみたいなのがザラにあったから…
— 違法バタピー (@batapys1) March 17, 2024
責任回避傾向1
やっぱりワンピースとかその辺のいわゆる「考察動画」あたりから伏線の意味合いがだいぶ霧散している印象がある。読者自身がテクストを読解した結果まで「伏線回収」とか言い始める(例示の表紙絵→展開とかまさにそんな感じ)。 https://t.co/DRW3ZLNfud
— 紅藍@カクヨムで新作『偽王子事件』連載中 (@akaai5555) March 17, 2024
巷間言われる「伏線」のどことない気味の悪さ、気づいたんだがひょっとしたら鑑賞者自身が作品を見た上で読み取った要素まで「伏線」と呼ぶことに起因するのかもしれない。
— 紅藍@カクヨムで新作『偽王子事件』連載中 (@akaai5555) March 17, 2024
そもそも伏線って「作者が読者に向けて隠した情報」というニュアンスを持つわけで、裏返せば情報を隠したのは作者だという認識になる。「伏線を見抜く」という行為は、作者が隠したものを読者が見つけるというニュアンスの行為という想定だろう。
— 紅藍@カクヨムで新作『偽王子事件』連載中 (@akaai5555) March 17, 2024
これはテクスト読解における「作者の意図はさておき鑑賞者はこう読んだ」というニュアンスの行為とは真逆に位置する。露悪的な言い方をすれば伏線を見抜くという行為は「作者が隠したものをあくまで読者である私は気づいただけです」という認識なのではないかと思った。
— 紅藍@カクヨムで新作『偽王子事件』連載中 (@akaai5555) March 17, 2024
巷間言われる伏線は大半がテクスト読解というか「作中の表現から私はこう考える」と主張するもの。ワンピならそれこそ「黒ひげ海賊団のドクロは頭骨3つなのでケルベロスの悪魔の実の能力者なのでは(と私は考える)」で何の問題もないはず。
— 紅藍@カクヨムで新作『偽王子事件』連載中 (@akaai5555) March 17, 2024
ところが考察動画などでは「黒ひげ海賊団のドクロは黒ひげの能力の伏線」みたいな言い方になる。ドクロの海賊旗が不自然ですよね? 私はこれ作者の伏線なんじゃないかなって、という具合に。あくまで発話者は「作者の仕掛けた伏線に気づいた人」でしかなくテクストの読解者にはならない。
— 紅藍@カクヨムで新作『偽王子事件』連載中 (@akaai5555) March 17, 2024
これ要するに自身の読解の責任を回避するために、作者主体の情報制御である「伏線」という言い回しを選んでいるんじゃないかと思った。まあそれこそ「私はそう思った」なんだが。
— 紅藍@カクヨムで新作『偽王子事件』連載中 (@akaai5555) March 17, 2024
いかにも他人の創作に便乗して承認欲求満たそうとするやつらのメンタリティ……というのは露悪的すぎる物言いだが。考察動画勢に限らず責任を負いたくないくせに創作物にいっちょ噛みしたがるやつが多いなあとここしばらく思っているから余計にそういう考え方になるのかもね。
— 紅藍@カクヨムで新作『偽王子事件』連載中 (@akaai5555) March 17, 2024
責任回避傾向2
「伏線回収」、そもそも読者の側が勝手に情報を「伏線」と規定した上でその情報が作中でどう扱われるか云々している時点でなんか変かもしれない。その極北が「伏線が回収されていない」。作者が最初から伏線として処理するつもりがなかったかもしれないだろ。
— 紅藍@カクヨムで新作『偽王子事件』連載中 (@akaai5555) March 17, 2024
「作中でこの情報を出すならそのままにせずきちんと処理したほうがいいのでは(チェーホフの銃的な意味で)」なら分かるが、「この伏線は回収されていない」だと???となる。
— 紅藍@カクヨムで新作『偽王子事件』連載中 (@akaai5555) March 17, 2024
幼少期の仗助を助けた不良について「紛らわしいからもうちょっと『黄金の精神を仗助が受け取った赤の他人』と分かるようにした方がいいのでは」なら分かるが「あの不良の伏線が回収されていない」だと指摘がなんか変じゃないか、となるみたいな。
— 紅藍@カクヨムで新作『偽王子事件』連載中 (@akaai5555) March 17, 2024
前者は読者(私)がテクストを読んで当該不良を「赤の他人」と規定した上での発言なので主張の責任は私自身にある。最終的に作者の情報処理の甘さを指摘している以上恐れ多くも荒木飛呂彦先生の表現にケチを付けているわけだが、まず主張の責任主体をテクスト読解者たる私が負う、という認識。
— 紅藍@カクヨムで新作『偽王子事件』連載中 (@akaai5555) March 17, 2024
後者は「作者が」伏線回収を怠ったという事実指摘の体裁を取ることで主張の責任主体をまず作者自身に負わせようとしている、と考えられるのかも。伏線というテクスト読解のための語彙はどうにも責任回避傾向があるんじゃないだろうか。
— 紅藍@カクヨムで新作『偽王子事件』連載中 (@akaai5555) March 17, 2024
厄介なのはどっちでも「だから5部におけるジョルノが助けたギャングは不良を分かりやすく表現し直したものじゃないかな」とは言えちゃうってことなんだよな。先につなげる論述の上では責任回避傾向がそんなに問題にならないというか。責任回避したまま結構好き勝手喋れるなこれ……。
— 紅藍@カクヨムで新作『偽王子事件』連載中 (@akaai5555) March 17, 2024
個人見解
やや露悪的な見方ではあるが、考察動画という他人の創作の勝ち馬に乗るような産物や、なろう系などへの醜悪な誹謗中傷「レビュー」など、ここしばらく……といっても十年くらい以上のような傾向を感じている。つまり創作物についてはとやかく言いたいが、発言の責任は負いたくない、というタイプの人間だ。
これは創作物に限らずあらゆる面で見られる。まあある程度は、ネット上でのエチケットというか、誹謗中傷でいきなり訴えられないための処世術的な側面もあるだろう。ただ従来「あくまで私見です」という体裁で処理されてきたそれらのエチケット的所作が、さらに一歩進んで「あくまで作者の描いたままを言っているだけです」というニュアンスになっているのかもしれない。「伏線回収」を語る人たちにその意識はないだろうが。
ともあれどことなく気味が悪い「伏線」まわりの変な使い方だが、個人的にはこうした責任回避傾向で説明できると気づいたのは収穫だ。まあネット上で多く語られる中で、他の単語もそうであるように意味が拡散しただけ、という線も大いにあるわけだが。
伏線回収が口癖の人たちにその単語を禁じて作品を語ってもらったりしたらまたなにか分かるだろうか。