パリ五輪話題1 平等と平和を考える:創作のための時事勉強会87

※注意
 本記事は時事的問題について、後で振り返るためにメディアの取材や周囲の反応を備忘録的にまとめたものです。その性質上、まとめた記事に誤情報や不鮮明な記述が散見される場合があります。閲覧の際にはその点をご留意ください。


高飛び込みの件

事例概要

※あくまでパリ五輪に触発された話題なので、ポストの競技映像は過去のもの。

※国際試合に出て現状を見てもらうことで国の競技発展を進めようという動き。

※そもそもオリンピックの映像ですらない。

難しいこと?

※当時テレビで紹介されて有名になった背景がある様子。無論テレビ局は調べれば選手の内情を知れたのでは? にも関わらずお笑いとしてしか消費しなかったの? という問題。

※嘲笑を正当化したくて必死。背景を知らずに笑ったこと自体より、それを正当化しようとする方が問題では。

※当人がこの言い訳なのでおしまい。

競技の格差

※競技には環境による格差が明白にある。

※「そのレベル」にどうしても到達できない格差があることを示す事例にこれなので、理解は遠いか。

見解補足

 オリンピックなど国際競技の場で未熟な選手があえて参加し、その国では競技発展がろくになされていないことを示す事例はたびたびある。一見あまりに未熟な競技の様子に笑いすら出てくるが、背景を知れば複雑な気持ちにもなる。

 問題は背景を知らずに笑ってしまったことではなく、その後に背景を示されてもなお笑ったことに対する正当化を図ろうとしたことだろう。ああした未熟なプレイングの映像は、むしろ笑えるキャッチャーさで注目を集めることも戦略にはあるだろうからそれが笑えるということ自体に問題があるわけではない。

 テレビや当該発言者のように背景を無視して笑える映像として利用すること。そしてその利用に乗り、背景を示されても理解を拒絶すること自体が問題だと言える。それは競技発展のため恥をかくことも厭わなかった選手に対し「お笑い要員でい続けろ」と押し付けるのに等しい。

 また競技発展の状態が国や地域によって異なることは当然だ。ただこの場合、それが地域差として自然な範疇に収まっているかという点が問題になる。またオリンピックの種目として選ばれる競技の性質上、特定の地域において競技発展が難しい競技ばかりが選ばれている、というのならやはり問題なわけだ。こうした格差を明確化する上でも、選手が国際試合の場に出てきてアピールすることは意味がある。

採点の格差

事例概要

※興味深い事例。特に採点系の競技では従来からこうした議論はあるようだ。

※柔道での一件が興味を引く一因ではあるだろうが、柔道については今回が特別誤審が多いわけでもないという指摘もある。

※誤審が当たり前の競技もどうなんだという気がするが、直接選手同士が接触する競技のため、安全性を確保するルール変更が大変という側面もありそうだ。

イスラエルの件

例の柔道選手

※新宿のパレスチナ連帯デモに乱入した選手の模様。爆弾にサインもしており、国家的な枠組み以前の、個人としての思想の問題と考えていい。


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