刑法第39条という藁人形:創作のための戦訓講義67
事例概要
発端
#39デイ
— kin_me (@kin_me) March 8, 2024
39といえば森田芳光が監督した法廷ドラマ「39/刑法第三十九条」(1999)。心神喪失者は責任能力なしとして処罰されない問題を描いた映画。ならば怪奇大作戦の封印エピソード「狂鬼人間」こそ映画化してほしい。殺人犯を人工的に狂わせて無罪放免にするという設定は時代を大きく先駆けていた。 pic.twitter.com/Y8Vt1PlRxV
死刑制度熱烈賛成で、犯罪者への懲罰感情が強い(但し巨悪は除く)日本人は、エンタメで刑法39条を否定的に扱うのが好きだ。
— エンタメ放浪者 ウディ本舗 (@woody_honpo) March 8, 2024
しかし、心神喪失者が責任能力なしとされる場合は稀で、「どう考えてもないだろう?」という者も「責任能力あり」とされる場合が殆どだ。
39条批判は藁人形社会問題だと思う。 https://t.co/uNJjGWNa2d
ミステリの中には「心神喪失者を装って罪を逃れる狡猾な犯人」が大量に徘徊しているのだが、現実には存在しないんだよ。
— エンタメ放浪者 ウディ本舗 (@woody_honpo) March 8, 2024
私は、あれは世を誤る「社会批判」だと思っているし、「心神喪失者を装って罪を逃れる狡猾な犯人」を安易に(しかし、主観的には善良で深刻な顔をして)使う作品が大嫌いだ。
※刑法第三十九条を利用した偽りの「社会批判」への問題提起。
刑法第三十九条
※刑法第三十九条は心神喪失および心神耗弱の規定。三十九条は「心神喪失者の行為は、罰しない」とあり、続く二項で「心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する」とある。
※刑事事件を扱う作品でよくある「頭がおかしいから無罪」的な話の根拠だが……。
反応
心神喪失で責任能力なし、少年犯罪は刑が軽いと合わせてエンタメで扱われる藁人形の二大巨頭だと思う。
— 紅藍@カクヨムで新作『偽王子事件』連載中 (@akaai5555) March 9, 2024
このネタはとにかく過去から現在まで多くて、多少なりともサスペンス系、ミステリ系の作品に触れた人なら具体例をすぐ出せるし、それがみんな別々の作品ってくらいにたくさんあると思う。
— 紅藍@カクヨムで新作『偽王子事件』連載中 (@akaai5555) March 9, 2024
「心神喪失を装って罪を逃れる狡猾な犯人」の同類には「痴漢冤罪で男性を陥れる女性」「生活保護を受けて外車を乗り回す知り合い」がいる。 https://t.co/ye8oq4Xe1X
— foxhanger (@foxhanger) March 9, 2024
※この手の藁人形的な「社会批判」はけっこう多いという気付き。
事実関係
心神喪失者と措置入院
※責任能力無しとなった被疑者はすぐに釈放されるわけではない。責任能力のない状態は被疑者自身にとっても危険な「治療が必要な状態」と言えるだろう。
※「入院を強制されること」「その判断が精神医療の専門家ではなく裁判官によること」「無罪になること自体が贖罪の権利を侵害する」など、実は批判は多岐にわたる。
※そもそも入院期間は18ヶ月程度を基準として入るが、「心神喪失者等医療観察法」で上限が定められているわけではないので永遠に閉じ込めることが可能という問題も。
ついでに少年法
※刑法第四十一条では「十四歳に満たない者の行為は、罰しない」とある。
※ただし少年法における定義は二十歳未満。これはあくまで少年法が保護すべきと規定した「少年」の定義であり、刑法による未成年者の規定とは矛盾しない。
※少年犯罪でも被害者を死亡させた16歳以上の被告に関しては逆送、つまり通常の事件と同様の処理をされるのが原則。15歳以下でも事件の状況に応じて同じく逆走される場合があるようだ。
※少年犯罪だから何でも減刑されるわけではなく、個々の事件に応じて変化する。
痴漢冤罪と生活保護不正受給
※痴漢は刑法ではなく各自治体の迷惑防止条例違反としてカウントされるため、そもそも実態が不鮮明。当然冤罪についても同様に不鮮明。
※冤罪は警察の捜査の問題である、という認識が共有されていない。創作物における「冤罪で陥れる女性」などはまさにそうした偏見の再生産だろう。
※生活保護の不正受給率は低く、むしろ捕捉率が低く保護を受けるべき人が受けられていないのが現状。
藁人形を扱う作品
『ルックバック』と『相棒』
※藤本タツキ作『ルックバック』において、おそらく京アニ事件からの発想であろう、精神疾患患者への偏見を増長するシーンが描かれた。
※後に表現は修正されたが、批判に対し作者当人はもちろん、編集側も十分には応答できていない。
※批判に関しては斎藤氏の記事が分かりやすい。「迫真と言いつつそこに実体はない」という一言がこの問題を正確に言い表している。
※ちなみに上記記事で触れられたのがドラマ『相棒』で登場した薬物中毒者の偏見を助長する人物像である。
江戸川乱歩も逃れられない
ドラマ『明智小五郎』はあの明智がサイバー犯罪に挑む内容だが、サイバー犯罪の内容自体がダメダメだった。加えて第一夜では少年犯罪に対する偏見も見られた。サイバー犯罪より古くからあり、偏見も指摘されている少年犯罪に対する扱いが雑なら、そりゃサイバー犯罪も雑になるよねという話。
※ちなみに『乱歩奇譚』では「裁かれない犯罪者」への憎悪が「怪人二十面相」を生み出していたが、犯罪者の中には心神喪失者なども含まれていた。というかシナリオ的にはそれらが本命。
海を超えても
『コブラ』視聴終了。スタローン版『ダーティハリー』を目指したともされる刑事アクション映画。以前見た時はそのことを知らなかったしダーティハリーも未見だったが、それぞれを見てみるとなるほどと思うことも多い作品だ。
— 紅藍@カクヨムで新作『偽王子事件』連載中 (@akaai5555) February 16, 2024
以前見た時はスタローンにしか注意が行っていなかったが、見返すと人権がどうのとか、精神異常がどうのという話が目につく。犯罪者の人権、「精神異常者」の釈放などこの頃からアメリカでも手垢の付いたおかしな議論は多かったのだろうか。
— 紅藍@カクヨムで新作『偽王子事件』連載中 (@akaai5555) February 16, 2024
頭がおかしいフリをすれば釈放されるとか、精神疾患を抱えた犯罪者に対する誤った認識は例えばアニメ『乱歩奇譚』でも割と根幹のテーマに関係するのに見られており、犯罪者を扱う作品全般が抱えるジレンマかもしれない。https://t.co/DGqrZPcZTr
— 紅藍@カクヨムで新作『偽王子事件』連載中 (@akaai5555) February 16, 2024
宿痾と表現してもいいが、ジレンマと表現したのは仮に創作側が現実の社会問題の事実関係を尊重したとしても、読者側、あるいはメディアミックス側がそれを尊重するとは限らないという問題があるからだ。新書からのドラマ化という例ならNHKが以前やらかしていたケースもある。https://t.co/B2GDZzkzNO
— 紅藍@カクヨムで新作『偽王子事件』連載中 (@akaai5555) February 16, 2024
作者側が差別と偏見を持って書いたら問題なのは分かりやすいからそれとして、仮にきちんと書いて鑑賞者が「うーんこれは現実的じゃないね」とか言い出さない保証はあるか? という問題。
— 紅藍@カクヨムで新作『偽王子事件』連載中 (@akaai5555) February 16, 2024
『ダーティハリー』の公開された70年代から『コブラ』の80年代まで、この頃既にこんな風に描写された問題を結局現代まで温存している、という点はどうなんだろうね。本家アメリカならコブラの描写は警官の過剰発砲と絡めて論じられるだろうが、日本も別の点で無関係ではない。
— 紅藍@カクヨムで新作『偽王子事件』連載中 (@akaai5555) February 16, 2024
※スタローン演じるロス市警の刑事コブラが悪人を撃ち殺しまくる、実にらしい映画。犯人はカルト的組織ナイトスラッシャーだが、彼らの会話の中に心神喪失について言及するものがある。
※『ケーキの切れない非行少年たち』について上レビュー記事を参照のこと。上記ポストで語る問題は新書がドラマ化された際、新書では男女の区別をつけないよう注意を払われていたのに、あえて女子側のエピソードだけが抜き出された件について。
※レビュー記事では『流産させる会』と絡め問題から男性が距離を置くことを批判した。要するにこうした偏見によってメディアミックスが汚染されると作者の側ではどうにもできないという問題。
※メディアミックスの制作陣だけでなく、鑑賞者側が偏見を温存したまま作品を評価していたらやはり作者個人では太刀打ちできない。
個人見解
刑事事件を扱う創作、特に広義のミステリでは本来もっと盛んに議論されるべき話だが、他の創作ジャンルにおける同質の問題と同様、さほど議論されることはない。作者個人の能力と知見によってこうした偏見を正す内容を描いても、それは一時のもので大量にある偏見を再生産する作品に打ち勝つのは難しい。
仮に作者個人がどれだけ頑張っても、メディアミックスの際にその努力を無惨に蹂躙される危険はある。また鑑賞者側が偏見を温存し続ければ偏見に基づかない描写こそを「リアリティがない」として切って捨てられる危険もあるわけだ。こうした問題の解決には作者の側だけではなく、鑑賞者の側のアップデートが不可欠であろう。