渋谷ハロウィンと呼びかけの危うさ:創作のための時事問題勉強会43
※注意
本記事は時事的問題について、後で振り返るためにメディアの取材や周囲の反応を備忘録的にまとめたものです。その性質上、まとめた記事に誤情報や不鮮明な記述が散見される場合があります。閲覧の際にはその点をご留意ください。
事例概要
発端
※ハロウィンに対し渋谷区は区長が「来ないで」と要請
自由との兼ね合い
個人見解
ハロウィンには興味がないのでほとんど動静を追っていなかったが、ちらりとTwitterで見たあの横断幕の呼びかけは区長の発議だったらしい。確かに渋谷区での毎年の騒ぎは自治体にとってはそれなりに負担になっているだろう。人は集まるが街に金が落ちるようなイベントでもないだろうし。
ただ集会の自由との兼ね合いで、今回の区長の要請はかなりセンシティブというか、バランスの難しい要請だったという点は記録しておきたい。ハロウィンの騒ぎに辟易としていただろうというのは分かるが、果たして、法的拘束力も妥当な手続きも踏まないだろう首長の要請を、どの程度飲む必要があるのかという問題である。
今回の件はハロウィンに限定されるが、例えば「ハロウィンの騒ぎで被害が出たので渋谷区では集会などを禁止します」と首長が「要請」できてしまうわけだ。法的拘束力や手続きを持たないということはつまりそういうことである。語られる「被害」の内実も不明だし、民主主義的な手続きも不要。その代わり法的拘束力はないが、拘束力などなくとも警察は市民に圧力をかける術に事欠かない。
例えば最近では埼玉で子どもを置き去りにするのを禁止する条例が提出された。
共働きやシングルの世帯の存在を完全に無視した独善的な条例だが、こうした意味不明な条例が成立しうるのが地方自治体である。香川の「ゲームは一日一時間」とか。今回の件はハロウィンに限定されたが、こうした奇異な動きが生じうるのが地方自治体であると考えれば、今回の渋谷区の要請はかなり危うい要素を持っていると言える。デモ活動を嫌う首長ならこうした事例にかこつけて集会の禁止を「要請」しかねないという意味で。
他者に迷惑をかけずに済むのであればそれがいいのだが、こうした一見穏当に見える要請などにも市民の自由と権利に関する大きな問題が見え隠れしている。