『水星の魔女』結婚発言削除の問題:創作のための時事勉強会14

※注意
 本記事は時事的問題について、後で振り返るためにメディアの取材や周囲の反応を備忘録的にまとめたものです。その性質上、まとめた記事に誤情報や不鮮明な記述が散見される場合があります。閲覧の際にはその点をご留意ください。


概要

スレミオ結婚!

※ガンダムエース2023年8月号インタビューで声優の市ノ瀬氏の発言。本編では指輪を見せる等の匂わせ程度の表現しかされなかったが、公式がほぼ明言した形に。

ところが……

※電子版の雑誌では後から「結婚」の記述が削除されていることが判明。

もう少し詳細

海外(中国)配信向け?

※中国市場への配信に向けて公式が同性婚発言を控えたのかと思われたが、そもそも中国にはまだ配信されてすらいない。PV段階なのでめどもあまり立っていない?

※近年は中国企業のコンテンツも多く見受けられ、その中でも同性愛表現は見受けられるようなので中国市場は関係ない? あるいは日本企業側からの過剰な忖度?

本編そのものの評価が変わる?

※本編では結婚が大きなテーマとして描かれつつも、ラストでスレッタとミオリネの婚姻関係が明言されなかったことに対し賛否が分かれていた。だが今回の件を踏まえると、同性婚を描きたい現場とぼかしたい別部署の軋轢などが考慮される必要があるか?

 まさに同様の事例は米ディズニーでも起きていたため、こうした現場の表現を抑圧する上層部の存在はまあまあ現実的な話である。

なぜ公式発言にこだわるのか

 公式からスレッタとミオリネの結婚を明言してほしいのは、公式としてのお墨付きが欲しいというスレミオ派の過激なアプローチというだけの話ではない。まずもって、結婚したという発言を後から消すほど強烈な同性愛への嫌悪あるいは隠蔽が強く働いている、という事実が問題である。

 また日本は同性婚が不可能な状況にあり、その上でフィクションの中で描かれた同性婚すら消失させられるというのはかなり危機的な状態である。そうまでして消すほど同性愛は受け入れられるべきではないと、大手出版社やアニメ制作会社が認識しているのだというメッセージを発しているからだ。

隠すという暴力性

 また以前映画『怪物』で児玉氏が指摘していたことが参考になるだろう。

 フィクションにおいて隠すことは、社会において隠すべきことだという規範を強化する危険がある。「ネタバレ防止」という表面上の正しさをもってしても問題なのに、特にネタバレでもなんでもない同性婚を隠すことはより脅威的な問題だと分かるだろう。

一番やべーやつ

 今回の件で地味に筆者が一番おののいたのは、公式に結婚が明言され、本編でも明言こそされなかったが婚姻関係が明白なスレッタとミオリネの関係を否定する向きが多く現れた、ということである。上記ツイートの主はガンダムSEEDの漫画などを公式に書いている人物だという。

 当該ツイートを見つけられなかったのであくまで付記に留めるが、スレッタとミオリネの指輪についても「あれは別々の男のものだ」とする発言も目にしてビビり散らしていた。

 いかんせん筆者は同性愛を扱う作品にこれまでほとんど触れてこなかったので、同性愛が関係する作品について、鑑賞者の反応にこれほど問題が生じるものだとは思わず驚いた。一応、そういう話は聞いたことがあったがこれがなるほど、という感じ。

 スレッタとミオリネの婚約は本編の描写を見れば明らかで、公式の発言は実はその事実を確定させる上ではさして意味のあるものではない。スレミオ派がどうの、というのがそもそもおかしく、カップルが成立しているのにそのカップルをなしにして別の男性と結ばれた可能性を妄想するのはどういうわけなのか。

 おそらく他の異性愛カップルではこうはならないのではないか。仮に公式カップリングとは異なるカップリングを想定するにしても、公式カップルは存在すること自体は前提として二次創作は構築されるのではないか。

追記

7月30日

上記ツイートの画像

 公式から雑誌の修正についての言及があった。真偽はさておき、編集の仕事に問題があったかのようにところにどことなく気持ち悪さを感じる。

 というのも、本編を見れば分かる通りスレッタとミオリネの婚約は明言こそされていないが、描写からすれば確定的だからだ。市ノ瀬氏が公式の設定を受けて発言したのか、それとも描写から個人的見解として述べたのかは定かではないが、これが「憶測」と呼ばれるほど不確かなレベルの読解ではないことは明白である。

 そして本来、雑誌等で修正を加える場合は正誤表を用いる。後から修正可能な電子版での扱いはおそらく一様ではないのだろうが、修正の結果紙媒体と内容に差異が生じているのだから、通常はそのことを記述するものだろうと推測される。そうした措置を行わないままのサイレント修正は、同性婚を隠蔽しようという力学の発露だと考えるほかない。

 なによりこうした扱いは、クィアベイディングであるという問題を抱えている。要するに、性的多様性や性的マイノリティへのエンパワメントをちらつかせることで歓心を引こうという手口である。

 単にビジネス戦略としてエンパワメントできる作品を作る、というのなら資本主義商業主義的に過ぎるが問題はない。『水星の魔女』のようにそうしたテーマ性があると思わせ歓心を引きつつ、むしろ内容は従来的あるいはよりひどく旧弊的という場合にこうした批判がなされる。

7月31日

上記ツイートの画像

 編集部側からの言及もあったが、結局のところ発現削除の問題が何かは理解できないようだ。

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