「ドラッグ・ラグ」 鬼田竜次『対極』:創作のためのボキャブラ講義47

本日のテーマ

題材

「薬害ではなく、《ドラッグ・ラグ》です」
「え? 何かね?」
 要領を得ない丸橋に対し、谷垣は姿勢を正し、語気を強めた。
「ドラッグ・ラグです。彼らの背景にあるのは、ドラッグ・ラグの問題ですよ。犯人達は、薬害ではなく、ドラッグ・ラグの被害者です」

(文庫本版154ページ)

意味

ドラッグ・ラグ
 海外で使用されている薬品が、日本で使用できるよう承認されるまでの時間差のこと。


解説

作品解説

 ある一人の高校生が、警察学校へ侵入する。正面入口を警備していた警察官を打ち倒し、武道場で訓練をしている大人たちをのしていく……。教場破りのシーンが鮮烈に読者の印象に残る鬼田竜次『対極』は、警察小説新人賞を受賞した作品だ。

 タイトルにある通り、対極的な二人の警察官の信念がぶつかる一作となっている。冒頭に登場した粗野で暴力的、そして言動に露悪的なところの強いSAT隊員の中田。そしてつい最近SITに転属した、理想主義的で家では良き父でもある谷垣。

 日本刷新党を名乗る犯人グループが起こした連続立てこもり事件を通し、中田と谷垣の信念は大きくぶつかることとなる。ただ両極端なふたりの人物の衝突自体は筋としては平凡とも取れ、谷垣の人物像や扱われる事件も個性をやや欠くとも取れる。それは王道とも紙一重の評価であり、審査員からは総じて中田の人物造形は評価された一作だ。

 さてそんな本作で日本刷新党が起こした人質事件だが、狙いは厚生労働省からのNPO法人へ天下った元官僚が主だった。天下りによる税金の浪費などを問題視して厚労省の解体を要求する刷新党だったが、犯人グループが厚労省に的を絞った理由はなにか。警察が犯人たちの共通点を探る中で、薬害被害者の可能性を検討していたところ、谷垣がたどり着いたのが「ドラッグ・ラグ」という結論だった。

作中説明と合わせて

 上述の通りドラッグ・ラグは海外で承認された薬品が日本ではまだ使えないという時間差の問題だ。つまり国内の患者は海外に使える薬品があるにも関わらず、日本にいる限り治療を受けられないという困難に直面する。

 上記サイトに詳しいが、本作では警察の組織など多くの事象について説明に文量を費やす傾向にある。そこで本編の説明からドラッグ・ラグについて見ていこう。

 ドラッグ・ラグには2つのパターンがあると作中では指摘されており、ひとつは製薬会社が利益の薄さから申請しないことで生じる「申請ラグ」だという。そしてもうひとつが審査の長さから結果的に承認がなかなかされないことによる「審査ラグ」である。

 また日本ではある病気では既に承認されて使用される薬品でも、別の病気に使用する際には別個承認を取る必要があるようだ。作中、犯人グループの一名が重篤な病気に侵されているが、体内からは別の病気の治療に使われる薬品が検出されるという謎があったが、これはそのために起きたことだ。

社会性と事件と

 さて本作は警察小説であり、警察小説と言えば比較的社会性や政治性を帯びる内容を想起する読者もいるだろう。まあそればかりではないのだが、江戸川乱歩的本格探偵小説よりは、松本清張的なものを想起しやすい、と言えるかもしれない。

 本作もドラッグ・ラグの問題に限らず、作中多くの社会問題が引き合いに出されている。これらは作中、谷垣の理想主義に対するカウンターとして中田が指摘することが多い。一方、本作における主要な事件である日本刷新党の事件ですら、谷垣と中田の衝突のためのダシという側面は強い。

 実際のところ、ドラック・ラグという犯人グループの背景は意外というか想定外ではあったが、それが驚きにつながっているわけではない。無論、すべての小説がミステリ的な真相の意外性を担保しているわけでもなく、本作もそこが主題ではないのは確かだが……。結果的に、そうした事件への興味の薄さが、作中全体のドラマの薄さの原因の一つになっているように思われた。

 あくまで単語辞典的な記事であるここでこの指摘はずれているが、まあ、読んだ理由が警察小説の勉強のためだったので……。あくまで作者の処女作なので、ここからさらにブラッシュアップされることが期待される。

作品情報

鬼田竜次『対極』(2024年1月 小学館)
※2020年8月に単行本として刊行されたものの文庫本版。


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