インド1人旅 12
きっと時間がかかるってわかっているけど、
旅行記を書いてしまうのは、その記憶に想いを馳せることが好きなのと、旅の最後を描写したいからなんじゃないか?と思う。
メモと記憶をたどりながら書いてます。
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ニューデリーの空港に着いた時はもう夜だ。
メトロに乗って中心地に戻る。
あぁここに来た初日は濃霧がすごかったけど、その時期はもう過ぎたんだな。
市街地の客引きは相変わらず適当なことを言う。背中のバックパックを掴まれ、
「チケット持ってなきゃ陸橋(メトロと街を結んでいる橋)は渡れないぜ」なんて言われても
「ごめんな、おれはそれが嘘だった知ってるんだ。あんまり人騙さない方がいいぜ」
なんて言えるようになってた。
ブッキングしていたメインストリートの外れにある宿はカビ臭く、二段ベッドが5脚くらいあり、10人くらいが寝ることになる。こんな感じも最後になるんだな、なんてことを考えると少しの愛しさをもたらせてくれた。
翌朝、旅の終わりだからたまにはモーニングをと思い近くの食堂にはいると、
宿の二段ベットの自分の上を利用している
マイク(適当)が紅茶をすすっていた。
「ここのモーニングを食うと、なんとなくインドに帰ってきた感じがするぜ、」
「何回も来てるんだね」
「そうさ、若い時も何度も来てて、今回は久しぶりだけど、インドは来たくなるんだ。今回は仕事区切りついたから、辞めて昨日ロンドンから到着したんだ」
マイクは若い時から旅をするための仕事、
ライフスタイルを好んでいた。
旅をしている人は知識の含蓄が人よりもある。好奇心が色々なところに引っ張られて、その場所で自分なりの言葉と体験を連れて帰ってくる。その話に、人の輪郭が見えるような気がして俺は好きだ。
朝からそこそこの談笑をしていると時刻はとっくに昼前になっていたので、じゃあ宿でね、と別れを交わした後、最後のデリー観光に向かう。
さあ今日は何が俺を待っているんだろうという、いつもの気持ちでいっぱいになる。
インドはたくさんの宗教が混在しているけど、このロータス寺院はバハーイー教の寺院であり、バハーイー教は他宗教を排除しないという寛容な思想が特徴的で、ここでは宗派関係なく、誰もが祈り瞑想することができる万人向けに開かれた礼拝堂があり、訪れた人はそれぞれの信じる神に祈りを捧げることができる。
一体、寛容さはどんな風に自分の中に作られていくんだろうな。理解をしたうえで受け入れてあげる事が大切だけど、その根底にあるのはそれぞれを大切にするある種の尊さ、みたいなものなんだろう
アグラセン・キ・バオリーへ。
ニューデリーのコンノートプレースから
少し外れたところにある階段井戸。
インドでは井戸に階段を作って日が差さない地下の構造物としての顔を持つことで、水の気化熱で地上より7度程度も気温が下がる奥部は、夏の間の王宮、避暑地としても利用されていたみたいだ。もともとは水利用のために作られた井戸だけど、階段井戸が宗教性を伴うものとして発展したことも、この作りに大きく関係していて、命の源である水を扱う場所である井戸が神聖視され、祈りを捧げる沐浴場としても利用されていたそうだ。
翌朝、マイクと一緒に同じご飯屋さんでモーニングを食べ、チェックアウト。
濃霧の過ぎたこれから暖かくなるニューデリーは晴れ間を覗かせて、少し乾いた風が吹く音がこの旅の終わりを静かに告げていた。
バックパックを担ぎ、ほんの少しの感傷と共に街を少しだけ歩く。着いた時はここのレストランに入ったな。気になったレストランの路地に行ってみたけど、そんな店見当たらなくて人に聞いたな。あそこは結局行かずに終わったな。なんてひとり旅特有の時間を巻き戻すような感覚になる。
シュガーケーンのジュースを飲んだあと、
特に大きな出来事もなく予定よりも少し早くにニューデリー空港に着き、出入国手続きを終えて、登場便ゲートでボーッとした。
搭乗の案内のあと、飛行機に乗り込む前に見えたインドの土地に、
さよならまたいつか、と別れを告げた。
空の旅を終えて無事に日本に到着すると、
街は変わらずに整ってて、牛もいなくて、
クラクションはうるさくない。
トイレは綺麗だ。
バスは予定通り来る。
コンビニってすげぇな。
このあたりまえへの感謝は1週間もすれば消える。あぁ、俺は旅をしていたんだな。
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前回の1人旅の旅行記で、
旅は人を豊かにしてくれる。と書いたけど、
その豊かさって一体なんなんだろう。
物質的ではない、精神的な豊さとは
どういうことなんだろう。
思い返した時に、
きっとそれは自分の既に身の回りにあるものから美しさや感動を見つけ出すことなんじゃないのかな?と考えずにはいられなかった。
素晴らしい写真や絵を見た後に空が綺麗に見える瞬間だったり、コンクリートに伸びる日陰の規則性に気づいたり、
好きな音楽を聴くといつも通っている景色が
違うように見えたりする。
きっとアートや音楽が好きな理由もそこなんだと思う。そんな日々の周りにある物事の
そこにある素晴らしい瞬間に
気づくことのできる心を持つこと。
そんな心が作る時間の正体が 豊かになる ということなのかもしれない。
旅は、自分の心と人生を豊かにしてくれる。
おわり。